【寄稿】「強い地方」が社会を支え、新たな時代を描きだす ーエイチタス特別顧問/筑波大学名誉教授 蓮見孝

 新型コロナウイルスの世界的な拡大を受け、過密な都市型の生活の脆弱性が明らかになり、地方を含めた都市郊外へ移住する人々も増え、私たちがこれまで当り前としてきた暮らしの在り方が大きく変化しつつあります。そして、ニューノーマル時代においては、「QOLの向上」という視点に立ち、未来社会のあるべきかたちを考える必要性を我々に突き付けることになります。
 こうした状況においては、地方創生や地域活性化という目線で捉えた場合においてもこれまでとはことなる視点が求められます。「衰弱する地方を援助する」というような姿勢ではなく、地方が潜在的に有する特有のポテンシャル=力能を見つけ出し、これまでにない新たな価値を創造する、といった視点で地域の未来を考えていくことが重要となるのではないでしょうか。
 そこで今回は、前回もご寄稿頂いた弊社特別顧問/筑波大学名誉教授の蓮見孝より、「新しい時代に於ける地方創生の役割」をテーマにメッセージを頂きましたのでご案内いたします。
 デザイナーとして、そして研究者として常に人に寄り添い、人を中心に置いて地域での様々なイノベーションを生み出している同氏の論考をぜひご一読ください。

 少子高齢化と人口減少による過疎化は、現代社会の病巣といえる。急速に衰退する地方と、巨大都市への一極集中が問題視され、多様な方策が試みられてきたが、効力のある薬はなかなか見つからない。
 しかしコロナ禍により、過密な大都市の危険性が認識されるようになり、都市外への移住を検討する人も増えている。東京都への転入者数を見ると、コロナウィルスの蔓延とともに徐々に減少し、2020年の7月からは転出増に転換し、その数は増え続けている。
 
 そこで、ニューノーマルの課題として、「QOLの向上」という視点に立ち、未来社会のあるべきかたちを考えて見たい。「強い大都市と強い地方の共存」が新たな社会力を生み出す、という仮説を立ててみた。「衰弱する地方を援助する」というような姿勢は、小さな対処療法で終わりがちである。地方が潜在的に有する特有のポテンシャル=力能を発見し価値化することが、強い地方を描き出す早道と思える。
 本論では、地方の力能を把握するために、都市と地方を対比的にとらえ考察してみよう

◆人にしかできない仕事

 機械化に続く情報化の進展により急発展してきた巨大な産業経済社会は、さらにシンギュラリティやロボティックなどの進展により、予測することもできないような状況に至り、人が主役の社会はやがて終焉を迎えるかも知れない。その時、私たち人間は、どう対処すればよいのか。
 今私たちは、行き届いた受け身の有料社会サービスに安易に身を託すことなく、むしろ、生命を有する自分にしかできないことをしっかりと見極めていくべきだ。すでに各所で、自然から与えられた人間性に基盤と力点を置いた活動が萌芽し始めているようにも感じられる。その一つが「地方創生」の取り組みである。

 都市型のライフスタイルが、「切り花のアレンジメント」だとすると、地方の生活は、「根を張った花木」に喩えることができるだろう。切り花は、頻繁に差し替えられることによってつかのまの華やかさを保っている。
 しかし根のある木は、四季の変化に対応しながら、毎年決まった時期に花を咲かせ、果実を実らせる。木々は地味ではあるが、したたかに“生きている”のである。衰退しきったように見える地方も、地域に根を張り続けることにより、やがて新たな芽(存在感)をもたげることだろう。

◆日本大正村のまちづくり

 私は1995年に、JIDPO(現(公財)日本デザイン振興会)が主宰する「電源地域におけるデザインを活用した地域活性化に関する調査」に委員として参加した。これは、都市に電力を供給してくれるような過疎地域を、デザインの力で支援し活性化させようと試みる調査研究だった。
 しかし、結果としてわかったことは、「さびれたように見える地方には、むしろ次世代を予感させる優れたソーシャルデザインが芽吹き育っている」という事実だった。私は強い興味を持ち、いくつかの事例を、自分の足で確かめてみることにした。それは「足で学ぶー全国まちづくりの極意」というタイトルで、月刊「M&E」(廃刊)に連載された。
 
 最初に訪問したのは、岐阜県恵那郡明智町(現恵那市明智町)にある「日本大正村」である。それは、山のどん詰まりにある人口3千人ほどの小さな町だった。

図1

 明智町は、昭和50年(1975)ごろまでは、林業や養蚕業で栄えていたが、産業構造の急転換で一気に衰え、人影が消え年寄りだけが取り残された。木曽の中核都市である中津川とを結ぶ鉄道も廃線が決まり、なすすべもなくなった時、たまたま訪れた写真家・沢田正春の「この町を「大正村」と呼ぼう」という提案に応じて「日本大正村立村宣言」がおこなわれた。
 
 人が生活している日常のまちを、そのままテーマパークのようにしてしまおうという発想である。住民主体のまちづくり活動が始まり、やがて年間50万人もの観光客が訪れる有名観光地になり、鉄道の存続も決まった。施設を新設することなく、「ありのままの山里の生活を見せる」という姿勢と、地元町民による街角案内人のサービスによって、地域の尊厳(シビックプライド)とにぎわいがもどってきたのである。
 
 現代社会で一般的な消費型観光と日本大正村を比較してみると、全てが逆の構造であることがわかる。
 次々と新たな施設を増設していくような「つくり手(行政やゼネコンなど)」が主導する消費型観光に対して、大正村の主役は住民たちである。住民自らが考え行動しながら、まちの調和が徐々に整っていく。それに伴って行政や企業が参画・支援するようになり、大きく育っていく姿は、徐々に集落が形成されていくプロセスとのメタファが感じられる。

 明智町は、昭和50年以降に急激に産業が衰退したために、大きく発展した大正時代に建てられた歴史的建造物が多数残された。そのような繁栄時の遺物をゴミと解釈せず、地域資産と読み替えて価値化するしくみが、明智町を生き返らせたと言えるだろう。「残存機能の尊重」という北欧の高齢者福祉の基本的考え方にも似て、そこには生きながらえようとする生物のしたたかな生命力が宿っているのである。

 現代の巨大企業による全国規模のフランチャイズ店は、便利ではあるが、はっきり言ってタイクツだ。地元にはそれぞれに“地もの”の文化があり、それは世界各地からの来訪者にも旅の感動を与える。まさに、自然界が有する無限の多様性に倣って、小さいけれど味のある地域文化を生みだし磨き上げていく活動が、日本という小さな島国の未来を支えて行くのではないかと思えるのである。

◆緑したたる島

 ヨーロッパから日本に帰国する時、飛行機の窓外には、シベリアの荒涼とした大地が延々と続く。やがてキラキラと光る日本海を越えると、瑞々しい緑に包まれた日本の風景が目に鮮やかに映り込んでくる。多くの人がホッとする瞬間だろう。
 
 常緑の照葉樹に包まれたこの島国には、何万年にもわたって人が住み着き、豊かな産物を得て固有の文化圏を形成してきた。縄文時代には、戦のない平和な時代が1万年も続いたという。

 このような固有の生活文化圏が根底から崩れ始めたのは、75年前の終戦以降といえるかもしれない。敗戦による植民地化は避けられたものの、巨大な大陸アメリカの産業文化が我が国に移植された。1950年から1973年の20年間で、瞬間沸騰のように巻き起こった高度経済成長と高度消費社会化により、社会は互助の社会からビジネス最優位の社会へと変貌していった。

 ニューノーマルの時代といわれる今、改めて地方創生の役割を考えようとする時、このような社会学的時空間のスケールで課題をとらえる視点が必要だろう。

◆社会課題の発見とソリューションの道筋

 私が住んでいる茨城県南でおこなってきた活動例を紹介しよう。茨城県南には、多くの人々に感動を与える悠久の大地が広がっている。そこは首都圏内に位置する国定公園であり、茨城の貴重な資産である。

 しかし地元では、その資産価値が認識されず、日本で2番目に大きい湖である霞ヶ浦を「日本一の水たまり」などと揶揄する風潮もあった。工場誘致や大規模な太陽光パネルの設置など、長期展望に欠ける開発が進めば、調和が一気に崩れ、生態系を包含した環境を再生することは極めて困難になることだろう。

 そこで、乱開発を抑止する方策として、サイクリングルートの整備を県に提言し、地方創生事業の目玉プロジェクトとして、「つくば霞ヶ浦りんりんロード」の整備が進められた。その結果、2019年に国交省のナショナルサイクルルート(全国3ルート)に指定され、サイクリストたちに広く知られるようになった。

 しかし、「しまなみ海道」や「ビワイチ」など老舗のルートと比べると、コース上の宿泊施設や休憩施設である、トイレや避難所(雷や強風など)が不足している。私が注目しているのは、コースの近くに点在する老朽化した古民家や空き家、あるいは廃校になった小学校などである。きちっと手を入れるのは大変だが、ありのままの姿をいかし、自由に見学ができたり、急な雨の時は軒先が借りられたり、庭先でキャンプができるように工夫をすれば、りんりんロードに新たな楽しみが生まれることだろう。

 このような構想の実現には、タテ割り型の行政や企業による事業に頼るのではなく、CSV(共通価値の創造)と呼ばれる社会活動が有効だろう。産官学金労言士+住民という多様な主体が連携し合うことで、地域に残存する遊休資産を丁寧にリストアップし、効果的に再活用するシステムが生み出される可能性がある。

 デザインを切り口にした美しい観光ガイドブック「ディ・デザイン・トラベル 茨城」には、小さなガイドマップが折り込まれている。調査中にメモしたと思われる手描きのイラストがビッシリと描き込まれているが、調査員は愛用の自転車で、「つくば霞ヶ浦りんりんロード」を走り回ったらしい。「自転車旅の宿泊は、ぜひ江口屋で」と、熱い推薦文が記されていた。

 ゲストハウス 江口屋は、かすみがうら市歩崎公園近くに昨年開業した古民家の宿泊施設。専門家たちによる「古民家活用合同研究会」の助言を受けながら、市が改築資金を拠出し、改修設計は地元の建築事務所が担当。運営は、3セクがおこなっている。ここは、多様な主体が力を出し合って実現させた地域愛が籠もった施設なのである。「最高の朝に出会える宿」というコンセプトのもと、かまど炊きのごはんと新鮮な地物の幸が味わえる。当面は週末のみの営業だが、コロナ禍にもかかわらずほぼ満室状態で、9割は首都圏からの来客とのことだ。
 

図2

 地域の交流人口を増やすために、高級ホテルを誘致しようとする動きも見られる。しかし、豊かな都会のパラダイムを地方に適用させ、安易な気持ちで地方創生を進めようとしても、おそらくうまくいかないということは、強く認識しておくべきだ。地域に潜在する魅力と力こそが人を感動させ、小さな地域拠点づくりへの投資意欲が新たな経済のサイクルを回していくことだろう。

◆都会のネズミと田舎のネズミ

 イソップ童話に「都会のネズミと田舎のネズミ」という話がある。田舎で粗末な暮らしをしているネズミが、都会のネズミに招かれて町に行き、見たこともないご馳走を楽しむ。しかし騒音に怯え天敵に追い回されてすっかりイヤになり、「やっぱり田舎がよい」と帰っていく。原作者のアイソポスは紀元前の古代ギリシャの人だから、都市と田舎を対比的にとらえる思考は大昔からあったようだ。

 都会で華やかなビジネスに精を出すか、それとも地方に根を下ろしてその未来を担おうとするか。相性は人それぞれである。しかし、今の強者はかならずしも明日の強者ではない。誰にとってもたった一度だけの人生を、明日の地域の可能性にかけてみてはどうだろうか。

 時は春。田舎暮らしの小庭には、新たな若芽が一斉に力強く芽吹き始めた。

■蓮見 孝 プロフィールはこちらから

■前回寄稿「イノベーションを導く『ポジティブマインド』をどう育てるか」はこちらから。

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