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共感性の話

私は親と同じ空間にいることが苦手だ。

なぜなら、彼らの感情の波に飲み込まれ自分を見失ってしまうから。


特に仲が悪いわけではない。愛されていると常に感じるし、私も彼らを家族として愛している。

ただ、共感能力が強い自分にとって、彼らと暮らすことは脅威だ。


たとえば、こんな日。

父親が珍しく早く帰宅する。

(娘が今日なにをしていたのか気になる)(どこかに行ってたのかな)(なにか手伝おうかな)(気になる)(話したい)(でも話しかけづらい)(そわそわ)(話してくれたらうれしいのにな)

母親がパートの仕事から帰ってくる。

(疲れた)(でもご飯つくらなきゃ)(腰を下ろす暇もない)(いつもいつも私ばかり)(少しでも自発的に動いてくれればいいのに)(いらいら)(手伝うと言われてもなにもないわよ)(あ、少し傷つけたかな)(自分にもいらいら)

「ご飯よ」

(ため息でもついてやろうか)(不機嫌なことに気がつけよ)(でも今日は疲れてるだろうし、しょうがない)(結局私が我慢してばかり)(これまでもこうだし、これからも変わらない)

(ちょっと機嫌悪い?)(どうしたら)(娘に話しかけたい)(でも娘も機嫌悪そう)(…)(気まずい)(話してみよう)(あ、からまわった)(無視?)(傷心)

「…ごちそうさま」

もう、この1時間で、ぐったり、思考が停止してしまう。


相手が、なにを感じ考えているか、手に取るようにわかる気がする。

自分への関心が、周りの空気と一体となって、煩いほどに訴えてくる。

負の色が、私を緊張させ、平静さを失わせ、胸を圧迫する。

その大きくて頻繁な波が私を飲み込み、動けなくする。

頭ではそれぞれの波に対し適切な対応がわかっているはずなのに、体が動かず、それに対して相手がいら立ちや悲しみを感じていることを感じ取り、負のスパイラルに陥る。


円滑な友人関係を築く上では、共感性はおよそプラスに働く。

相手が欲する返答、声音、表情、それらを無意識的に表出できる。

ある程度の距離もあり、お互いへの働きかけも比較的制限されるため、気を付けていれば心に深く立ち入りすぎることはあまりない。


一方で、家族は、近すぎる。感情の逃げ場がない。もろに影響を受ける。

物心ついたときから親の感情の動きには敏感で、欲しいものも言えず、親が不機嫌な時には夜通し枕を濡らし、悪夢を見た。

「気に入られよう」とする気持ちを素直に行動に示していた幼少期と異なり、今は沸くその感情を内に秘め、心の自傷行為を繰り返している。


お互いのために、適切な距離をとることが必要だ。

物理的に遠く離れていると、家族を愛していると感じられる。

近年わかってきた、自分の性質との付き合い方でもある。

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