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感謝

宇宙飛行士の向井千秋さんが「宇宙に行って人生観が変わりましたか」という質問に対して確か、「宇宙に行ったことで、人生観は変わらない」と言っていました。その意味を私なりに解釈すると、宇宙飛行士になるという過程においてさまざまな訓練があり、シュミレーションがあり、知識の習得があり、ステップを踏み、それについて考え、試行錯誤を繰り返し、という毎日の中でたどり着くその場所(宇宙)は、たどり着いた時点で当然そうなるべくしてそうなる準備をしてきたので、驚くべきことでも、一瞬で人生観が変わるような出来事でも無くなっているということではないかと思うのです。つまり当たり前の境地に達している、そういうことかなと。

私は30代に5年以上の歳月を費やして大学院、PhD課程で研究の日々を過ごしましたが、はじめは卒業していく先人たちのPhD thesisの初めのページの「感謝の文」を目にするたびに、自分が最終的にその文を書く時が来た際には感激の嬉し涙を流しているに違いないと思っていました。そういう日が来ることを想像するだけですでに涙目だった、なのに、実際その段階にたどり着いた時には、感激という心境ではありませんでした。むしろ、それほどの年月を費やしていると、感謝の文も、初めの一行も、まとめの最後のピリオドまで自分の血肉のような一部になっていて、淡々としていたと言った方がいいかもしれません。

This book is dedicated to . . . 

山を見つけ、交渉して、買付けて、ホロカトマム山林と名づけ、プロジェクトとして始めた2010年から今日までの13年の道のりはなんとなくそんな感じだなと思いました。私のPhDの研究が脚光を浴びてスポットライト、誰もが注目するような結果になったわけではないように、ホロカトマム山林の道のりを振り返り報告できるまでになった「業績」は、シュミレーションがあり、知識の習得があり、ステップを踏み、それについて考え、試行錯誤を繰り返しというようなものから成り立っていて、そういうことをすることそのものに意義があるような気がずっとしていたし、今もそういうものだと思っています。

それをするということそのものに意義がある
っていうかね、ホロカトマム山林に行くたびになんかとてつもない充足感があるんです

Noteを始めたのは5年前、1回挫折しました。最近になってまたやり始めましたが、最初は全くホロカトマム山林のことをなんとなくでは書く気が起きませんでした、2回目の挫折もすぐそこだった。でも、突然なんだか、思い切って全部出してみたくなった。特別特化する必要はない、こんなことをしてきたんです、こんなことしているんです、あれもこれもぐちゃぐちゃミックスでみてみて、でいいじゃない。こんなことをもう13年も続けているのだって記事になる。スタート地点から見ると、私はかなり遠くまで来たと思うのです。だから、皆さんから見ると、君はそんなところで何しているんだ〜 なんのためにそこにいるんだ〜 変わったやつだなあ〜 すごいな〜 バカだな〜とさまざまな感想を持たれることと思います。一人ではどこまで遠くまで来たのかがよくわからないので、誰かに伝えて、反応をもらうことで社会における自分の立場が明らかになり、また先に進みたいと思うのだと思います。それでNoteが楽しくなった。そしてNoteでサポートが欲しくなった、Noteってうまくそんなふうにできている。10年続けると決めて10年日記も買った。1年もやればきっと誰かと繋がれると思った。

私の人生の歴史に残る瞬間がこんなに早くやってくるとは思いませんでした。

13年ホロカトマム山林の活動をやってきて初めて、寄付をいただきました。こんな素敵なお方から。

そして、こんな記事を書いてくれる方まで現れました。

胸いっぱいです。これは期待していなかった分、計画の一部でなかった分、より胸を打ち、その幸福で跳ねて踊るいつもじゃない自分がいます。

ちょっとなんだか感慨深くって書き上げるのに1日かかって遅くなってしまったけれども、取り急ぎ、お礼を申し上げたくて。ホロカトマム山林の全ての生き物を代表して、ありがとうございました。

[追記]

#わたしのキャリアに応募したことも覚えてなかったのですが、本日、noteコンテスト事務局より当選したとのメールをいただき、また改めて感謝x3の境地です。ありがとうございます!

いつもありがとうございます。このnoteまだまだ続けていきますので、どうぞよろしくお願いします。