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記録:Solitude HOTEL(2021.05.30)



これは、2021年5月30日、舞浜アンフィシアターに在った、ひとつの感情の記録である。



【某所~舞浜】

舞浜に向かう電車に揺られながら、ふと、イヤープラグを忘れてしまったことに気づいた。ある時期から、ライブ等では必ずイヤープラグをするようにしている。でもまあ、ブクガの音なら大丈夫だろう、と思った。以前、表参道wall&wallで同じ状況になったものの、耳が全く痛くならず、感動した記憶が甦った。だから、たぶん大丈夫だ。むしろ、少しでも聴覚情報をロスしてしまうほうが、勿体ない気がした。

舞浜は夢の国だった。人で溢れ、賑やかで、その存在ひとつひとつに、歴史があり、思想があり、生活があるのだと、そんな当たり前のことを、いつもより敏感に感じ取っていた。

会場に着き、物販ブースに着くと、事務所のスタッフさんたちがいた。よくチェキを撮影してもらった方もいた。ランダムチェキを買うとき、誰狙いですか?みたいなことを聞かれ、「誰でも。みんな大好きなんで」と返した。「じゃあ全部当たりですね」と言われた。素直な感情というのは、突然表れてしまう。何度噛みしめても、このときの言葉には、ひとつの嘘も見当たらない。

開場を待っていると、見知ったファンの方と、見知らぬファンの方が、同時に目に入った。自分のなかの貧弱な図々しさを焚きつけて、挨拶して、話をしたりした。こんなことができるようになったのも、彼女たちに出会ったあとだったと思う。



【舞浜アンフィシアター】

会場に入って、時を待った。僕の座席は3列目、ちょうどせりだした円形舞台を、上手側の真横から見るような位置だった。首を斜め右に向けて、スクリーンに映し出された文字をみて、「あぁ、そこは”Solitude HOTEL”じゃないんだな」と思った。

もうしまおうと見たスマホに、コショージさんのツイート通知がきていた。全部。承知した。イヤープラグなんて持ってこなくてよかったな、と改めて思った。こっちも全部で迎え撃つ。かかってこい。そんなふうに構えたところで、だいたいブクガはこっちの想像を簡単に超えてくる。わかっていたはずなのだけど。いつもより少しだけ力んで構えた。

「ありがとう」?返す言葉が「ありがとう」しか思い浮かばなかった。絶対にそれでは足りないことも分かっていた。伝えたい想いに対して、僕の言葉の道具箱はまだまだ小さすぎる。

「Solitude HOTEL」は、突然始まった。



【Solitude HOTEL】

ペストマスクのあいつがいた。拾い上げた本を開くと同時に、何度も見たことのあるURLがスクリーンに投影された。危うくスマホを取り出すところだった。公演中に公式HPでなにかを起こすくらい、ブクガなら平気でやってくるだろうと想像していた。しかし、この場所に来てしまった僕は、この場所でこの目で見届けるべきなのだろう、と思い、再び椅子に腰かけた。

スクリーンに流れる「Solitude HOTEL 4F」のオープニング。情報としては知っているけど、僕の身体に刻まれてはいない階。そこまで巻き戻られちゃうと、ちょっと寂しいよ?と身勝手なことを思いながらも、どうしようもない、今の僕の全部を掘り起こしながら、この空間を感じようとするしかないのだと開き直った。開演してすぐにこんな開き直りをさせられるライブなんてあるだろうか?いや、どちらかというと僕の性格の問題かもしれない。椅子に座り直した。変な力が入っていた。

「sin morning」が始まった。僕がブクガを知ったときの、cotoeri衣装。懐かしい。そしてスクリーンは「∞F」で使ったような透過する仕組みのものなのだろうか?ブクガの世界において、境界の向こう側・こちら側、というのは何度も繰り返されてきたモチーフだ。ならば向こう側の「4F」とは?

そんなことより重大な違和感に気づいた。僕はスクリーンを斜め右に見ていたから、そのおかげで気づけたのかもしれない。メンバーが前後に動くときの遠近感がおかしい。照明が背後にあるのなら、舞台の床面への光の伸びかたがおかしい、同時にスクリーンに投影されている光の反射もおかしい。恐らく、これはすべて映像だ。四人はスクリーンの向こう側にすらいないのではないか?そう思っても、どこかそれを確信できず、自分の目を疑ってしまうのが、ブクガのライブの面白さのひとつでもある。僕は首を左に向け、円形の客席を眺めた。「あなたたちには、今、これがどのように見えているのですか?」と訊いてみたくなった。MCがはじまり、会場に鳴り響いた拍手を聴いたとき、気づいた。いまここにいる人は、誰一人として同じものを見ていない、いや、そんなことはそもそも不可能なのだと、改めて思い知った。僕は、僕の身体を通じてしか、この「Solitude HOTEL」を体験することを許されていないのだ。僕は拍手もできないまま、ただ呆然としていた。やがて、スクリーンはノイズまみれになった。

煙が漂ってきた。甘いような、不思議な匂いがした。円形の舞台に、白い衣装に身を包んだ四人の姿があった。「海辺にて」が始まった。四方を向いて踊るこの曲を、僕は初めて真横から見た。一度も見ることのなかった許されなかった視点から、この曲を体験した。「海辺にて」は、ブクガの曲のなかでも、ちょっと優しすぎる。あざといくらいに輝く姿に、手を伸ばしてしまいそうになった。僕はもう泣いていた。

この円形のステージは、ブクガに似合いすぎていやしないだろうか。僕は見れなかったのだが、ビバラポップのさいたまスーパーアリーナのことを思い出した。当時の景色はどんなだっただろうか。目の前で繰り広げられる、無数の光線に包まれ、顔が見えない黒い四人と踊る、白い四人のステージは、現実にしては美しすぎた。靴の音や、かすかな歌声の揺れが、時々僕に現実感を教えてくれた。むしろ、それらがないと忘れそうになってしまうくらい、ひたすらに美しかった。「townscape」の最後、向き合う四人と四人、その境界となる空間を、僕は真横から見ていた。特等席だと思った。

「言選り_」で円形のステージはもうひとつの観客席になり、そのまま「闇色の朝」の穴になった。そして、知らないポエトリーがはじまった。穴だったステージは、無限に歩き続けられる物語の世界になった。ウサギと目覚まし時計、樹、月。はじめて聞くのに、ずっと知っているような物語。思えば、ブクガはいつもそうだった。ひとつの大きな箱の中から、曲に似合う役者たちを出し入れしているような。怖いくらいに、一貫しているのだ。

「狭い物語」が色を失った。モノクロの世界は、矢川さんの絶唱によって、反転したモノクロの世界に切り替わった。振付も「∞F」で披露されたものに似ていた。そして、矢川さんが「夢」を歌い始めた。クリックを感じない、自由にゆったりと、ただひとりの「矢川葵」という人間が歌っている、そんな説得力を感じさせる歌声だった。和田さんが立ち上がり、その緩やかなテンポを引き継いで、「和田輪」の歌を歌う。聞き惚れていたところに、クラップ音がやってくる。端のスピーカーに寄った席なぶん、不思議なベロシティ差のステレオ感が強調され、今まで感じたことのない聴き心地だった。

というか、スピーカーからはクラップ音しか流れていなかった。それでも四人は当たり前のように踊り、当たり前のように歌い始めた。クラップ以外の音は排除され、サビに至っては、矢川葵、井上唯、和田輪、コショージメグミ、この四人の身体から発せられる音だけが響いていた。強く美しくなった歌声、靴の音、衣擦れの音。限られた音の響きが、逆説的に空間を広げていくような錯覚。これまで真っ白だった背景は、真っ黒に反転していた。

そして僕は、この「夢」をとても美しいと思うと同時に、とても遠くに感じた。きっと四人の耳元には、リズムやメロディの基準となる何かしらの音が流れている。もしかしたら、僕が聴いてきた「夢」のトラックが流れているかもしれない。これはライブ音響的には当たり前のことではあるが、客席に届いている音と、演者の耳元に届いている音は、必ずしも同じではない。客席に届けられたアカペラの「夢」は、間違いなく素晴らしいパフォーマンスだった。だがこれは同時に、演者と観客の間の断絶をもって成立していた。過去、ブクガのパフォーマンスは「観客を突き放した」ものと表現されることがあった。おそらくは「4F」が発端だろう。ただ、僕の感覚では、「7F」や「海と宇宙の子供たち」あたりから、そうした距離はあまり感じなくなっていった。だからこそ、この日の「夢」は、僕の目の前で、その圧倒的な完成度をもって、改めて僕を突き放した。ここで僕はやっと、このライブにずっと漂っていた「ある気配」を意識したのだと思う。ただ、まだ、認めたくなかった。

再び円形ステージを使いたい放題する四人。「snow irony_」では、ついに回転床に乗りながら、全方位サービスをしはじめた。見たこともないくせに「アイドルがやるやつだ!」と思った。ブクガがこれをやるのか、と少し笑いそうになってしまう感覚と共に、表情がハッキリと見える距離で、四人が僕の方を向いて、歌い踊ってくれるという錯覚と共に、涙が出てきた。もしも声が出せたなら、絶対に届く距離だった。届きたい、と思ってしまった。小さく、慣れない振りコピをした。誰かの視界の妨げにならないように、でも四人には見えるように、曲に合わせて手を掲げた。四人にほとんど笑顔がないことなんて、気づいていた。でもやっぱり、認めたくなかった。

四人がステージの下手隅に移動した。「Fiction」だろうと分かった。昨年の「エコムスフェス2020」でも、僕は上手側前方の席から「Fiction」を見た。イントロと共に、四人が少しずつこちらに近づいてくる。昨年はこの時点で涙で前が見えなくなっていたのだが、一度経験したおかげか、堪えることができた。それでも、「Fiction」という曲は、やっぱり優しすぎる。矢川さんが何度も「涙が出そうになる」と話していた落ちサビ。やはり、彼女は泣いていた。そして、そのまま最後まで、涙声のままだった。僕は「なんでそんなに泣くの?」と思い、一緒に泣いていた。想像以上に、僕は往生際が悪かった。

「non Fiction」。矢川さんは涙声のままだった。和田さんも、井上さんも、コショージさんも、どこか、これまでに見たことがないような雰囲気に思えた。このポエトリーの最後は知っている。知っているものと同じなのか、違うのか。怯えていた。最後にソファーに座り、一際大きな声で「僕を見つけて!」と叫んだ彼女は、穴に吸い込まれて消えていった。

本を拾ったペストマスクのあいつが舞台に佇む。強烈な不安感を煽る轟音と明滅。僕は震えていた。「見つけなきゃ」とだけ思っていた。なにか会場に仕掛けがあるのか?最初に表示された公式サイトに何かあるのか?考えなくてはいけない。見つけなくてはいけない。僕は

パン、

という乾いた音が鳴った。銃で頭を撃ち抜かれた感覚だった。銀色のテープが舞っていた。

ステージに白い四人が現れた。パパパン、パパン、パン、パン、パパン。何度も聴いた、何度も打ち鳴らした、七拍子のクラップ。客席の至る所から、同じリズムが奏でられていた。僕も手を叩いた。でも、途中で気づいた。さっきまで四人の服にあったはずの、「Maison book girl」を表す意匠が全て消えていた。やがて、聴いたことのないメロディと歌詞が耳に飛び込んできた。完全に聴き取りきれないものの、その内容は「bath room」の歌詞から借りるなら、「絶望」の匂いがした。もう僕は手を叩けなかった。「君たちは、誰なんだ?」と、届くことのない問いを続けていた。

「last scene」が鳴り響く。この曲は、逆光などでメンバーの顔がほとんど見えない演出になることが多い。この日もよく見えなかった。でも、そこに光はもうなかった。ただ、暗闇が訪れていった。音だけが残った闇のなか、うっすらと、舞台袖に去っていく四人のシルエットが見えた。視覚も頼れず、ただ音が流れる時間。そして突然に音は止み、光が戻った。スクリーンには何も映っていなかった。終演のアナウンスが流れ、規制退場を促された。もしこれが無かったら、しばらく立ち上がれなかったかもしれない。俯いていたら、床にある銀テープが見えた。銀テープだ、と思った。歩くスピードが遅くなっている自覚はあった。出口で青い紙を受け取った。開くと、見知ったURLが書かれていた。冒頭、ペストマスクのあいつが開いたものと似ていた。

そのURLはブックマークに登録されていた。それはそうだ、ここしばらくは余計に頻繁に見ていた。スマホを取り出し、目新しい通知は来ていないな、と思いつつ、URLを開いた。

「Maison book girlは削除されました。」

そうか、と思った。紙に書かれた文字列を、一文字ずつ確認しながら、ブラウザに打ち込む。

「Maison book girlは削除されました。」

そうか、と思った。

ぽつり、と天気雨の感触があった。

いつも雨じゃんか、と、四人に向けて呟いた。声は出なかった。



【舞浜~某所】

舞浜は変わらず夢の国だった。人で溢れ、賑やかで、その存在ひとつひとつに、歴史があり、思想があり、生活があるのだと、そんな当たり前のことを、感じることもできずに、青い紙を抱えながら、ゆっくりと駅へと歩いた。ちょくちょく屋根がなく、雨にあたる場所があった。どうしようと考え、青い紙をTシャツの下に隠して歩いた。この黒いTシャツはゆったりとしたサイズだから、紙一枚隠すのは簡単だ。今日のライブグッズ。背中には「Solitude HOTEL」という文字を使った十字架が描かれている。そうか、僕は十字架を背負っていたのか、と気づいた。

電車に揺られながら、Twitterを見た。ほぼ無意識に開いてしまうというのは、よく考えたら恐ろしいことだ。僕のTLにはブクガファンの方が多い。それと同時に、他のアイドルファンや、アニメ、音楽、なんでフォローしたのかも覚えていないような、色んな人達がいる。偏りはあるが、これはこれでひとつの社会だ。だから、色んなことが書かれている。ちょっと考えて、あまり読まないようにしつつ、自分のために記録的なツイートはするということにした。東京方面へ向かう電車は、元気な人が多いように見えた。東京に着いて、電車を乗り換える頃には、もう舞浜の空気はなく、僕の周りには人が溢れ、社会があった。



【部屋】

自宅に着いた。「ドア」を見たとき、Maison book girlの世界が見えた。「部屋」に入ると、Maison book girlの世界が見えた。手を洗い、服を着替えて、洗濯物を確認したり、当たり前な帰宅という一連の行為をした。

リュックの中身を取り出して片付けを進めた。ポケットに残っている最後の持ち物を取り出した。いつもお守りとして持ち歩いている、チェキ入りキーホルダー。矢川葵。井上唯。和田輪。コショージメグミ。僕。五人が写ったチェキ。Maison book girlのおかげで再起してから、ひとつの夢を成し遂げられたとき、そのお礼を伝えにいった日のチェキ。

声が出てしまった。しばらくの間、泣き続けた。

悔しかった。

寂しかった。

そして、やっぱり、圧倒的に、かっこよかった。



【opening】

以上が、2021年5月30日、舞浜アンフィシアターに在った、ひとつの感情の記録である。

そして、これから僕が表現していくことになるのは、これまでと変わらない、Maison book girlに魅せられた、ひとりの人間の生き様である。


僕は、矢川葵が、井上唯が、和田輪が、コショージメグミが、好きだ。

僕は、Maison book girlが、好きだ。

ここには、ひとつの嘘もない。

例え、その素材が色んな嘘だったとしても。

僕のなかにはもう、一個の本当がある。


僕は、Maison book girlが、大好きだ。