見出し画像

「Maison book girl」の話と「僕」の話


(※この記事は、2021年5月28日の記録です。)

「Maison book girl」についての話をしたい。同じブクガファンも、「動画見たことある!」「流れてた曲聴いたことある!」みたく少し気になっている人も、「ブクガって地下アイドルだっけ?たまに名前見るけど…」みたくぼんやり引っかかっている人も、せっかく「Maison book girl」というキーワードなり、他の何某かの縁でここに辿り着いてもらえたのなら、少しお時間を頂けると嬉しい。


§ 「Maison book girl」とは?  N繝ッ螟)t

まずは「Maison book girl」とは何者?どんな活動をしているの?という大前提について。独断と偏見で、よくある紹介文的なものを書いたので、一読頂きたい。

Maison book girlとは、矢川葵、井上唯、和田輪、コショージメグミからなる、4人組ニューエイジ・ポップ・ユニット。通称「ブクガ」。音楽家・サクライケンタが楽曲制作やビジュアルイメージなど総合的なプロデュースを行う。現代音楽に影響を受けた独特の楽曲や、不可思議なビジュアルイメージ、そしてその世界観を表現する、予測不可能な演出のライブパフォーマンスで人気を集める。2020年1月、LINE CUBE SHIBUYA(旧:渋谷公会堂)にてワンマンライブ「Solitude HOTEL ∞F」を開催し、チケットはソールドアウト。同年6月にベストアルバム「Fiction」をリリース。有観客ライブの開催が制限されるなか、無観客配信ライブの開催や、web番組への出演などを精力的に行う。そして2021年4月、ヒューリックホール東京にて有観客ワンマンライブ「Solitude HOTEL 9F」を開催。その後、全国5箇所を周るワンマンライブツアー「Re:Fiction Tour」を開催。現在は、5月末に舞浜アンフィシアターにてワンマンライブ「Solitude HOTEL」を行うことが発表されている。

詳細については、公式HP(https://www.maisonbookgirl.com/)を確認頂きたい。










…公式HPは確認頂けたでしょうか?

恐らく、「なんもわからん」と思います。僕もそうです。これは、ブクガを知っていたか、そうでないか、ということは関係ない話でしょう。

今、ブクガ公式HPは、ゆるやかに、少しずつ、崩れ落ちている。何がどうなろうとしているのか、その答えは恐らく本人たちしか知らない。ブクガは2020年で結成6周年を迎えており、古くからの熱心なファンもいる。しかしこれについての想像は、それはもう人それぞれなのではないだろうか。僕に見える範囲でも、反応は悲喜こもごも色々。共通しているのは恐らく、みんなの頭の片隅に、公式HPの右下や「Solitude HOTEL」特設サイトにある、謎のカウントダウンが表示されているということだろう。ちなみにこのカウントダウンは有志達の手によって解析され、舞浜での「Solitude HOTEL」の終演時刻頃にゼロになるとされている。

どうやら、Maison book girlは2021年5月30日に、何かを起こすようだ。できれば舞浜で、または配信経由でそれぞれの場所で、開演時刻の17時に、たくさんの人と待ち合わせできれば良いな、と思う。



要するに「みんなブクガ見ようぜ!」って言いたくなったというのが、今これを書いている動機のひとつである。

そしてもうひとつの動機は、僕自身の感情の中に一度錨を下ろして、今までの「僕」と「Maison book girl」の位置関係を、誰でも見ることができる形で留めておきたくなったからだ。

この手の話は、日記帳に書くなり、手紙にしたためるのが王道だろう。ただ、うまく言い表せないが、いざMaison book girlのこととなったら、意識的にオープンにしたほうがいいんじゃないかな、と思い至ったのだ。ただでさえ、謎めいた人達についての話なのだから。

ここからは、いちブクガファンの回顧録である。過去から現在へ向かうオタク成長記録から、終盤急にブクガ考察班ぶってくる。興味本位で覗いてもらえれば幸いである。



§ 「僕」にとっての「Maison book girl」

僕がブクガに出会ったのは2018年だった。ブクガを見よう、と思って見たわけではなく、同じイベントに出演する他のバンドが目当てだった。そのイベントは、主催アイドルグループのプロデューサーがバンド活動を並行しており、恐らくそうした縁などもあって、アイドルとバンドが交互に出演するようなイベントを実現させ、両シーンを積極的に繋げようとする意図があったのだろうと、今になって思う。僕はまさしくこの意図に鮮やかにハマった形なわけで。ただ、唯一ズレたところは、そこで魅入ってしまったのが、主催グループではなく、Maison book girlだったというところだ。

聴いた曲の特徴をメモして家に帰り、MVを探し当て、「faithlessness」、「rooms」、「lost AGE」をひたすら深夜まで見ていたときの感覚は、今でもぼんやりと心の奥底に残っている。「アイドル」というものに疎い、むしろ漠然としたマイナスの感情すら持っていた僕を、ブクガは音楽・ダンス・演出・世界観、全ての面で圧倒してきた。僕は音楽のことを知った気になっていた。僕の知らないところで、新しく面白い表現を模索している人たちがいる。そんな事実を、ブクガは僕に気づかせてくれた。世界はもっと面白いことで溢れている、そんな無邪気で明るい希望を抱けたのは、それこそ15年ぶりとかだったかもしれない。

当時のブクガの活動は、ライブアイドル的なフォーマットに則っており、ライブハウスで複数グループと共演する、所謂対バン形式のライブを頻繁に行う形である。僕はもともとライブハウスに行くこと自体に抵抗はなく、対バン形式によって他のグループを知ることもできるとあって、ブクガを軸に、ライブハウスを訪れるたび、世界が広がっていく感覚があった。そしていつしか、旅行など興味なかったはずの僕が、ブクガのツアーにかこつけて、北海道から沖縄まで、観光ついでにライブ遠征をするまでになったのだから、人生とは何が起こるか分からない。

また、ライブに通っていると、なんとなく「あの人いつもいるなぁ」という顔を認識できるようになってくるものだ(これは往々にして、逆も然りの現象である)。そうした人たちと、ふとしたきっかけでコミュニケーションが発生したり、時としてそれが緩やかに持続し、また別のきっかけを生み出したり。これもまた新鮮な体験だった。就職するまで地元というコミュニティを離れたことがなく、就職してもひとつの企業体というコミュニティに留まっていた僕にとって、こうした緩やかな関係性は、サードプレイス的なものとして機能してくれたのかもしれない。お互いに本名も知らない、ただブクガを見に来ているという共通点だけ、でもそこに不思議な信頼のようなものがある。これもまた、奇妙で面白く、僕にとってはとても新しい体験だった。

僕にとって、ブクガとの出会いは、単に好きなコンテンツが増えたとかいう範疇を超えてしまっていて、様々な行動様式、現実認識にまで影響を及ぼす、バカでかいカルチャーショックだったと言っていい。2018年、ブクガと出会った当時と比べて、物事を「面白い」と感じられることが明確に増えた。これを読んでいる方が、日景久人という僕のことを知っているのか、知っていたとして、どう認識しているのかは、わかることなどあり得ないのだが、僕が何かを楽しんでいるとき、その足元には、ブクガの影が落ちているのだ。


§ 「僕」と「Solitude HOTEL ∞F」の思い出

2019年12月31日、僕は東京ビッグサイト外周で長蛇の列にならんでいた。年2回行われるコミケには、学生のころからずっと通っている。コミケというのは「こうどなじょうほうせん」が行われる場で、目的の頒布物の在庫量、売れ行き、列の長さ、購入者を捌くスピード、会場内混雑による移動規制など、様々な要素を勘案し、分単位で動くことが求められる(※購入希望物による)。とはいえ、一度列にならべば、あとは基本的に待機である。僕はずっとTwitterを見ていた。翌週に控えた「Solitude HOTEL ∞F」のチケットがソールドアウトするかしないか、その瞬間を待っていた。

「∞F」が発表されたとき、コショージさんは涙ながらに「ソールドアウトさせる」という明確な意思を示した。ブクガのライブは、会場の規模は着々とスケールアップしていたものの、毎回必ずソールドアウト、というわけではなかった。「サクライさんは予想キャパより少し大き目の会場を選ぶことが多く、それは買いたいのに買えない人が出ないようにという想いもある」という話を聞いたことがあったので、それまでの状況自体をあまり悲観的に捉えたことはなかった。それでもなお、彼女がソールドアウトという結果を示すことを求めた事実は、きっと多くのファンの心を動かした。ある人はファンアートを描き、ある人は文章を書き、ある人は友人に声をかけた。僕も友人をライブに招待した。「お金はいい、見てみて面白いと感じたら、来年のワンマンに来てほしい。絶対にもっと面白いものが見れる。」目の前でチケットを買ってくれた奴もいた。

31日の昼頃、「∞F」は遂にソールドアウトした。ちょうどよく見える有明の海を眺めながら、祝いの歌として、「鯨工場」を聴いた。ブクガの歌はどこまで届くのだろう。

2020年1月5日。LINE CUBE SHIBUYAで、スクリーンに大写しされた「Solitude HOTEL ∞F」という文字と、その下にたたずむ血まみれの4人に、僕はひたすら拍手を贈っていた。「∞F」とは、これまでのブクガの集大成であると同時に、現時点における到達点であり、次の舞台へ進む最初のステップなのだと。この拍手はこれまでへの感謝であるとともに、この次へと送り出すための祝砲だ。少しでも、彼女たちに届いて欲しい。それが彼女たちの力になるのなら。



§ 「2020年の僕」と「Maison book girl」の再会

2020年は、すこし変だった。「Fiction Tour」の中止が発表された。配信ライブを見た。ラジオを聞いた。Amazonプライムビデオでweb番組を見た。音楽は不要不急になったらしい。ルールというものは、少し目を離したら変わるものだ。ライブハウスに行くとき、ずっと何かに怯えていた。行動も、感情も、全て間違いなんじゃないか?その声の主を四六時中殴り続けて、聞こえないフリをしていた。

2020年12月21日。僕は中野サンプラザにいた。そこにMaison book girlがいた。涙で歪んでよく見えなかったけど、そこにいた。

これまでとすこし変わった年末を過ごしながら、ふと足元の影を見たとき、ずっとそこにいるんだった、と気づくことができた。


§「2021年のMaison book girl」と「僕」の想像

「Solitude HOTEL 9F」と「Re:Fiction Tour」が発表された。カウントダウンが始まった。

「9F」を見て、2021年のブクガは「全部」をやろうとしてると感じた。2020年も、その前も、全部ひっくるめて、「今のMaison book girl」に取り込んで、「これからのMaison book girl」として構築しようとしているのだろうと。「9F」は、ホールであると同時にライブハウスであり、2021年であると同時に2014年であった。七拍子の拍手が鳴らされたとき、それまでブクガに触れてきた全ての人の時間軸がそこに集まり、一斉に始まっていくかのような感覚になった。そして僕の目に飛び込んできたのは、スクリーンに映る「Solitude HOTEL」と「404」の文字たちだった。

「Re:Fiction Tour」は驚きの連続だった。全てを見たわけではないが、少なくともセットリストを見れば、「Fiction」というベスト盤のテーマ性が滲み出ている。僕は「9F」と「Re:Fiction Tour」は地続きのものだと捉えている。当初予定されていた「Fiction Tour」のファイナルが、2020年に産まれたあらゆる感情を飲み込んでしまい、変異してしまったもの。それが「9F」だと考えている。つまり、「9F」は本来「Solitude HOTEL」の名を冠するものではなく、本来は「∞F」の次は「404」だったのではないだろうか、というのが僕の想像である。

ブクガは「Fiction」をもって、世界観の大きな総括を行った。「Solitude HOTEL」シリーズは、その時期の最新作の世界観を拡張し、表現する役割を担っている。前述した「9F」のポジションを考えれば、「Fiction」の物語を表現して、その次へ進める役割は、舞浜で行われる「Solitude HOTEL」にあるのではないだろうか。

この進展は何かしら、衝撃的なものになるだろう。「Solitude HOTEL」ロゴに見える「§」は段落等の区切りを意味する記号であり、(今はもう見れないが)メンバーページや、Tシャツのデザインにあしらわれた「†」は、同様に区切りなどの意味を持つうえ、その形通り「死」に近しいものである。キービジュアルにある「404」はそのまま404エラーのことを連想させる(現に公式HPは殆どのページがNot Found状態である)。これだけネガティブなイメージが積み重ねれば、ネガティブな想像をしてしまうのも、正直仕方がない。

それでも僕はなお、進展であると考えている(ぶっちゃけ今更準備もできないし、ネガティブな事態になったら、その時また考えるしかない)。ひとつ、僕が拠り所としているのは、最新ポエトリー曲「non Fiction」である。その最後、重なった声のひとつに「僕を見つけて」というメッセージがある。ふとこれを聴いたとき、「Not Found上等、探して見つけ出しちゃらぁ!」という見知らぬ人格が湧いて出てきた。こいつはなかなか漢気に溢れているので頼りになる。それに、ブクガの仕掛けは、予想して構えたところであまり意味を成さないものだとも思う。どうせ見たことないものを見せられたり、想像もしてなかったことを思わせたりしてくるんだから。次はどんな世界を見せてくれるのか。僕はいつも、当たるわけもない想像を巡らせてしまう。恐らく、そういう生き物なのだ。

§ 部屋の僕から、舞浜の「僕」へ

ここまで読んで頂いてアレなのだが、本来はもっと楽曲やライブなど、ブクガの作品から要素を丁寧に拾い上げながら、このように読み解けるはずだ!と示したかった。だが、聴くほど、読むほど、どう捉えるのが正しいのか、壁にぶち当たってしまった。また、これはずっと気にしているのだが、僕は2018年からのブクガしか体験していない。例えば「my cut」の熱量は、僕の皮膚には記録されていない。例えば当時のシーンで対バンしていたときのフロアの雰囲気は、僕の目には記録されていない。今の視点から「bath room」の歌詞を読むことはできても、発表当時の視点で読むことは、あまりに難しい。この事実は、どうしようもないからこそ、ただただ悔しい。

なので、せっかくだから、僕のことを書いた。これはオタクの回顧録であり、同時に、使途不明のサブアカウントだった「僕」が、いつの間にか「日景久人さん」として、他人から認識されるようになった出発点の話でもある。ブクガのリリースイベントでポスターサインをもらいにいったとき、「そういえば名前なんて読むの?」と訊ねられたとき、はじめて「名乗る」ということの必要性を認識し、めちゃくちゃに焦ったことを覚えている。一度名乗ってしまった以上、変えるのも面倒をかけてしまうし、名前も思いつかないし、そんなこんな静かに読み仮名を添えたりして、オタク四年生の今に至る。

あと最後に付け加えると、僕は多くの「my cut」を知らないが、先日の新潟での「my cut」は知っている。「Fiction」をテーマにしたことによる持ち曲の再演は、すべての曲に対して、観客各々の思い出の一曲になる契機を与えているとも感じる。改めて言えば当たり前のことだが、同じ曲だからといって、ライブで全く同じ「曲」が演じられることは、そうあり得ない。だからこそ、「Fiction」というベストアルバムがあり、それをテーマにして行われるであろう、今のMaison book girlのライブが、面白くないわけがないのだ。

たしか「SOUP」期のツアーで、コショージさんが「最新のブクガを見る準備は出来てますかーっ!?」と思い切り煽った直後、「karma」が演じられたことがあった。あの「karma」は、まごうことなき最新の「karma」だった。あのとき、「最新のブクガが一番かっこいい」という意味がわかった気がした。ライブという舞台に挑む人達にとって、このうえない賞賛なのではないだろうか。僕は長らくライブというものが好きで仕方ない。それはつまり、ブクガのような人達がいるということを、心のどこかで気づいてしまっていたからなのかもしれない。

だから、僕は舞浜に行きたいのだ。僕がずっと求め続けていて、これからも求め続ける何かが、そこに現れるはずだから。

以上、お付き合い頂き、ありがとうございました。

また、お会いしましょう。



この記事が参加している募集

自己紹介