月記(2021.02)
2月は倫理とともにはじまった。いまNHKでドラマが放送されている「ここは今から倫理です。」という作品にハマった。原作漫画を配信で一気読みして、ドラマも少しずつ見ている。倫理学、もっとざっくり言えば哲学なんかは、専攻してみたら面白かっただろうな、と大学に入った後から思ったりもしていた。久しぶりに「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」の解説を読んだりして、懐かしいものを思い出した。大学では社会学専攻に進んだ。「社会学」というやつは、在学時もそれなりだったが、ここ最近はまあ、よく燃えるものとして知られている。社会学者が火だるまになっているのを見ると、僕も幻肢痛のような熱さを感じる。そういえば、前よりすこしは本や文章を読むようになっている。幸い、そうした局面に出会うことはほぼなく生きてきたが、自分や、身近な人たちが攻撃されることがあれば、全力で反撃できるようでありたい、とは常々思っている。
音楽機材を整理した。一通りメンテナンスをし、音を確認した。やっぱり音楽機材はおもしろい。ひとつひとつ、すべて違う見た目で、違う音がする。機材はファッションのようなものだと思っている。TPOに合わせるという機能的な側面と、自己表現という美的側面がある点で、似ていると感じる。機材は、アガるかどうかが大事だ。しかし厄介なことに、音というのはなかなか曖昧だったりする。だから、より効率的にアガるためにも、見た目を重視することが、僕の場合は多い。
気になっていた「Share the pain」という映画を見た。音楽が美しく、主役二人の演技に息をのんだ。この映画は、取り扱うテーマだけに、内容について意見を述べることが求められるように思う(自分で見ておいて、「求められる」という被害者ぶった表現も、どうかと思う)。「性」「性暴力」に絡めた感想はいろいろと書かれているようだが、僕はもう少し広く、「暴力」についての話として考えた。高校生の恋愛模様を軸にした、恋人同士、その友達、家族、それらとのコミュニケーションの節々に、大小様々な暴力性が宿っていることに気づく。この作品設定の肝である「SP法」をこの流れで表現するなら、「被害者的体験を通じて自らの加害者性を自覚する」というルール、という感じだろうか。ルールがあるという「設定」を見せることによって、逆に、そんなルールなどない現実において、人はどのように「暴力」というものと向き合うことを学んでいるのだろうか。そんなことを想像させてくれる映画なのではないか。こんな具合で、人生初の映画レビュー的なものをしてみるのだった。
地震があった。こわかった。日常なんて、いつどのタイミングで壊れるかわからない。そんな当たり前のことを忘れていた。あれからベッドの足元に防災リュックを置いている。
所用で、久しぶりに地元に出向いた。時間があったので、写真を撮りながら散歩した。知ってるはずの建物が、知らない建物になったりしていた。
このnoteを書く前日まで、なにか文章を書くと、全てが白川さやかさんの卒業についての話になり、そこから自分の過去の話になってしまう病気にかかっていた。文章とも呼べない言葉の羅列を生成し続ける、という荒療治によって、少し回復し、いまこうしてnoteを書いている。ただ、最低でも月イチで記録を残し、公開しようと決めた月記であるが、こんな行動にでた原因と、前に書いた病気の原因は、たぶん、近いところにある。
「サテライト」が、頭のなかで鳴り続けている。
・今月あたらしく知った音楽
・今月なつかしんだ音楽