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月記(2022.06)

6月のはなし。




§. 上旬_キレる

6月1日の日記に、『久しぶりにTwitterがつまらない』と書いてあった。久しぶり、とは。Twitterは鏡だ。つまるところ、自分がつまらなかっただけだ。TwitterはTwitterでしかないので、そういうときは「つまらなくなりにくい」ほうへ自分を持っていくとマシになりやすい。

音を出すのは楽しい。こればかりは、理屈云々は抜きの話だ。

計らずも6月9日、ロックの日の投稿だった。ちなみにロックの日の日記を見返してみると、某子育てエッセイ漫画に関する話を見て、キレていた。感情の交互浴しとんのかい。




§. 中旬_気づく

この時期はやたらと人に会って、人と話した。はじめましての人も、いつもの人も、久しぶりの人も。

はじめましての人に対しては、自己紹介をする。どの自己でいくのか。日景久人です。〇〇〇です。△△社のものです。□□住みです。LINEやってません。名乗りの瞬間から、ゲームは始まっている。そのゲームのタイトルはわからないし、プレイしてみるまで、どこに向かうかもわからない。それでも、なんとかしようとする。何をかはわからない。

いつもの友人とは、これからの話をする。「いつも」をある程度共有しているからこそ、一歩先のこれからや、もう少し遠くまでの話がしやすい。すでにゲームのルールが前提にあるので、どう進めるかという話が焦点になる。ここでもうすこしチャレンジングにいくとしたら、例えばルールを変えるとか、プレイするゲームを変えるとか、そういう方向にいくのだろう。

久しぶりの人とは、これまでの話をする。お互い共有しているルールは、最新版ではないことが多い。あとは、ハードの確認もしたほうがいい。switch版?PS4版?えっ、スマホ版?そんな行き違いがあったりする。あとCDを読み込める機械があるかも確認したほうがいい。あのとき、確かに同じ場所で、同じほうを向いていたのに、気付けば変な場所に辿り着いていたりする。振り返る形に限定されるが、過程というものを話せる貴重な関係性でもある。

色んな人と話しているうちに、色んなことに気づいた。いい人間になりたい。

ダ・ヴィンチ・恐山さんの上司も、こう言っている。




§. 下旬_終わる

ヤなことそっとミュートの現体制ラストライブを見に行った。3時間ちかくやっていたらしい。僕は3時間ちかく暴れていたことになる。終演時の呆然自失とした感覚は、身体的な疲労も影響していたかもしれない。
それでも、あの感覚は、なんだったのだろう。『遮塔の東』が終わりゆくなか、ステージに立つ4人が、すこしずつ、終わっていくように見えた。見知った人の姿をとっている。それでも、今まで見てきたそれとは、様子が違う。無言で4人が去っていったあと、上方からスクリーンが降りてくるさまを、空っぽの心で見ていた。エンドロールを、空っぽの心で見ていた。退場を促すアナウンスを、空っぽの心で聞いていた。鳴りやまない拍手を、空っぽの心で聞いていた。一年ほど前、舞浜で感じたものとは味わいが違った。川崎のそれは、鮮烈で、壮絶で、決定的な「終わり」だった。夜風に触れ、人と言葉を交わし、少しずつ日常に戻るほど、なにかが「終わった」という感触が浮かび上がる。そうか、こういう「終わり」もあるのか。

現体制終了の報せが出る前、僕は「ポジティブにひきずる」ということを考えていた時期があった。そんなとき、特典会でちょっとした話の流れがあり、その後オンラインチェキでそれに関することを南一花さんに送ったことがある。一花さんからは「ひきずる、ということ自体あまりよくないとおもうので、おいしいもの食べて早寝早起きすることをオススメする」といった返事がきた。今になって思えば、面倒な時期に面倒なことを書かせてしまったと思う。ただ一方で、時期がどうあれ、きっと同じような清々しい返事がきたのだろうとも思う。最後のブログの、最後の挨拶を読んで、そう思った。

『気持ちが元気になれない日はあると思うけど、(私はそういう時があって良いと思うのです)お身体だけは大切に、元気で生きてください。』

『応援してくれたみんなへ』南一花

夜更かし癖はなかなか直らないけど、なるべく元気でありたい。




内山結愛さんを経由して、しいたけ占いに「怒り」を肯定されている。






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