見出し画像

月記(2022.05)

5月のはなし。




§. 上旬_ライブハウスの匂い

ギターひとつを背負って上京する。そんな夢の残り香を知っている。嗅覚というのは記憶に強く作用するらしい。この頃、その残り香を思い出そうとする。順番が逆な気がする。くるりの『東京』も、きのこ帝国の『東京』も、きっと香りを伝えてくれる音楽なのだと想像する。僕は残り香しか知らない。東京駅のホームで深呼吸をするのが好きだ。ホコリの匂いの向こうに、あの残り香があるのかもしれない。

いろいろと便利になったが、技術的に香りを再現するのは、まだ難しいらしい。ギターの音は、細いハガネで指を痛めなくても、スマートフォンで簡単に出せるようになった。親が新しく買ってきたMacにインストールされていた『GarageBand』には、ピアノも、ドラムも、コントラバスも、コピー機の駆動音も、なんでも入っていた。もし、僕がもう少し遅く産まれていたら、そもそもギターを買わなかったかもしれない。木材や塗料の匂いを知ることはなかったかもしれない。そうしたなら、スタジオやライブハウスの匂いを知ることもなかったのかもしれない。

この数年、頻繁にライブハウスへ足を運んでいる。なんとなく、綺麗なライブハウスが増えているような気がする。例えば、RAYのワンマンライブ『works』が開催された白金高輪SELENE b2はそのひとつだろうと思う。このライブでは、定期的に楽屋やステージ裏の映像が中継されていた。複雑怪奇な導線が絶妙な怪しさをかもし出しているが、内装は基本的に綺麗だ。歌舞伎町にある某ライブハウスとはえらい違いである。いや、ひょっとしたら今時は楽屋内は綺麗になっているのかもしれない。それに、綺麗なら良いというわけでもない。例えば、丸の内エリアの新築高層ビルはとても綺麗かもしれないが、それは絶対的に良いことだろうか。僕は時折そうしたものに恐怖を感じることがある。

雨の降り始めに地面から立ち上る匂いのことを『ペトリコール』と呼ぶ。ギリシャ語で「石のエッセンス」を意味する言葉らしい。google検索にかけると、その名を冠した音楽が複数ヒットする。僕はクロスノエシスの『ペトリコール』しか知らないのだが、やはり雨を涙に例えてみたり、大地に屍を見出してみたり、しているのだろうか。そういえば、歌舞伎町にある某ライブハウスで、珍しく最前に立った。上手側のスピーカー前がぽっかりと空いていたので、久しぶりに視点を変えてみようか、という軽い気持ちでそこに陣取った。そんな日に限って、『ペトリコール』が披露されてしまった。ライブハウスの地面なんて綺麗なわけがない。そもそも地面というものが綺麗なほうが珍しい。ましてやライブハウスの地面に雨が降ることなどないのだが、僕の嗅覚はどうしようもなく雨の匂いを感じてしまった。




§. 中旬_design

休むということに対して、すこしずつ社会は寛容な方向にデザインされている。寛容になろうとする社会で生きてきた人達にとっては、休まないことは、逆に難しい。そして休ませることも難しい。更に言えば、休むことも難しい。寝床に突っ伏していても消耗し続けるものもあるし、寝ぼけ半分でも新幹線に飛び乗ることで回復するものもある。処方箋は人の数だけ存在する。副作用もあれば、薬の飲み合わせの問題もある。なによりその人に合うかどうか、究極的なところは、やってみるまで分からないこともある。

新幹線に飛び乗って、クロスノエシスのライブを見た。初披露された『デザイン』を見ながら、そのサビの振付に既視感を覚えた。テンポよく飛び跳ね、身体と腕をゆっくり回してゆく、Maison book girlの『film noir』のそれが重なって見えた。終演後に改めて『デザイン』の歌詞を読んでみたところ、『顔を隠す亡霊 大事に奪うよ』という一節が目に留まった。ブクガとクロノスの間には、ほぼ確実に、影響の矢印が存在している。かといって、それを露骨に表現するとも思えない。ましてや、そうした矢印を見出しては、軽率にアレコレ言うなどしていたら、どちらに対しても失礼にあたるのではないかと思う。意識的にこの話題は避けていたし、取り上げるとしても、できる限り誤解を生んだり、なにかを貶めることがないよう、気を付けていた、つもりだ。

そのくせ今回『デザイン』について触れたのは、『大事に奪うよ』という歌詞に、グループの誠実さが表れていたように思えたからだ。僕は未だに、表現の類似性やリファレンスなどを見ていくという行為に、反射的に拒否感を抱いてしまう。でも実際のところ、こうした行為なしには、体系立てて物事を考えることなどできないはずなのだ。頭の中では無意識のうちにこうした行為-メカニズムが絶え間なく動いている。類似性を捉えるからこそ、そこに捉えきれない独自性に近づくことができる。強引に『デザイン』の歌詞に絡めれば、類似性という文脈のなかに『奪』い取っていくと同時に、姿を現した独自性を『大事に』認めていく、という感じだろうか。『デザイン』には一種の誠実さが表れている。その誠実さは、清廉潔白を気取るようなものではなく、素直で、野心的で、狂暴で、それゆえに魅力的に映る。

御託はいいから、と一蹴してくれる人は、きっと僕より素直でしなやかな心を持っているはずだ。なに当たり前のこと言ってるの?と一蹴してくれる人は、きっと僕より聡明な思考力を持っているはずだ。あなたたちが言う「良い」が溢れる空間において、僕が言う「良い」は、あまりに不安定すぎる。そのくせ、見た目は一緒になって紛れてしまう。この不安定で中途半端な立ち位置を、もう少しちゃんとしたい。あなたたちが羨ましい。僕も『大事に奪』えるようになりたい。




§. 下旬_わからない

はじめてアクリルスネアを叩いた。不思議な感触がした。

はじめて鍵盤が重めのキーボードを弾いた。指が疲れた。

恵比寿リキッドルームで、クロスノエシスのライブを見た。素晴らしかった。

渋谷WOMBで、RAYのライブを見た。素晴らしかった。

HEAVEN'S ROCK さいたま新都心で、ヤなことそっとミュートのライブを見た。素晴らしかった。

はじめてヤナミューを知ったのは2018年だったが、積極的にライブを見にいくようになったのは、2019年はじめにZepp DiverCityで開催された、3rdワンマンライブ『THE GATE』からだった。格安で買える最後方エリアチケットの存在を知り、軽率にお台場へ向かった。4人のメンバーが歌って踊り、その背後でバンドメンバーたちが演奏し「ロックサウンド」を作り上げていく。そのステージは、僕が憧れてきた「ライブ」たるものの、ひとつの理想形だった。この時点ではまだ『レイライン』は発表されていないが、『いつか描いた理想のひとつが目の前にあ』ったのだ。お台場の最後方にいた僕は、1年ほど経った頃には、歌舞伎町の最前列にまで顔を出したりしていた。2022年の僕は、さいたま新都心の最後方にいた。ステージにはヤナミューの4人がいて、フロアにはたくさんのファンがいて、『ツキノメ』がはじまったときにチラっと背後を見ると、とあるファンの姿があった。

来月の月記を書いているときには、現体制は終了しているらしい。実感は未だにない。僕がどうなっているのかも、全くわからない。一花さんに「初めて話したときよりポップになったよね」と言われたが、2019年の僕は3年後にポップになっているなんて想像もしていなかった。そりゃなにもわからないはずだ。

久しぶりに地元の町を歩いた。

髪を一部、青く染めた。

みんなの幸せを願った。

幸せの形は、人の数だけ存在する。

せめて、ひとまず、願うくらいは、させてほしい。






1年、生きた。

わからないもんだ。






・今月あたらしく知った音楽



・今月なつかしんだ音楽