優等生コンプレックス
お利口さんだね、と言われて育ってきた自覚がある。
ごく普通で平凡な、裕福とは言えないけれど不自由ない家庭で育った。いつも優しく家庭的な母と、厳格だけど子煩悩な父、4つ下の弟が1人。あと犬が1匹。
小さい頃、弟がそれはそれはやんちゃ坊主だったので、その分私がちゃんとしなきゃ、みたいな感覚が無意識にあったと思う。親からも、親戚からも、えらいね、お利口だね、とたくさん言われて育った。
しつけに厳しい父からは、食事のマナーや言葉遣いを教え込まれた。(大人になって、そのありがたみは本当に感じている。)毎日のように学校で嫌なことないか?とか、いじめられてないか?とか聞いてくれた。とても愛の深い人だと思う。
一方で、「やればできる」という言葉が家訓になっていて、勉強や運動で良い成績を取ってきて当然、という空気があった。その父の期待に応えなければいけないんだと思っていた。
記憶に強く残る象徴的な出来事がある。
私はどちらかというと運動が苦手で、特に持久走が嫌いな子だった。小学校の時は完走すらも必死。
だけど中学生になって運動部に入り、体力がついたおかげで、授業で2位を獲ったことがある。
それはもう最高に嬉しくて、喜んでドヤ顔で報告した。昔の私では考えられない数字だし、絶対に褒めてもらえると思ったから。
でもそれを聞いた父は「何人のうちの2位か」を私に尋ね、それから、自分は市の大会で1番だったとか(具体的には覚えてないけど)、とにかくそんなんじゃ全然足りないぞ、というニュアンスで、楽しそうに自分の自慢話をした。
もう、悔しくて悔しくてしょうがなかった。
これを思い出して書きながら、また泣いてしまうくらいには、この【優等生コンプレックス】に捉われている。
なんで認めてもらえないのか、私はこんなに頑張ったのに、ベストを尽くしたのに、SMAPはオンリーワンで良いって歌ってるのに、何がいけないんだ、って。
父に意見したり反抗したりしても、基本的には全部怒られるか、論破されるかだった。私は涙もろく、言い返されて泣いては、「すぐ泣くな!」とまた怒られた。
そういうことがあるたびに、自分の部屋でひとり、泣きながらその気持ちをノートに思いっきり書き殴ってぶつけていた。
当時の私の捌け口はそこしかなかったんだよね。
(ちなみに、父はSMAPのあの曲が大嫌いだといつも言っていた。ナンバーワンじゃなきゃ意味がないと。)
大学生の時に実家を出て、離れて暮らすようになってからの父は、むしろ1人娘の私を甘やかしてくれたように思う。お互いに成長したのもあるかもしれない。
今は、厳しく育ててくれた父に感謝している部分も大きい。まだ苦手なところもあるけれど。
私自身、オンリーワンで良いと思って生きている。大人になって、家族以外にたくさんの人の考え方や価値観に触れて、今のわたしの価値観が創り上げられてきた。
成績、成功、幸せ、人生のゴール。定義は全て人それぞれだし、他人が決められるものじゃないなと、今ならわかる。
でも未だに、「求められている自分」になれなかった時、「求められていること」を出来なかった時、どうしようもなく辛くなってしまうことがある。
認めてもらえないことへの畏れや、言い返せずに泣いてしまう自分への嫌悪感も、理由だと思う。
家族が関わるとなると尚更。期待に応えなきゃ、認められなきゃ、みたいな潜在意識がどこかにあって、それが自分の首を絞める。そして、そういう時は期待に応えられない自分が不甲斐なくて、悔しくて、でも出来なくて。やがて心が限界になって、いつも泣いてしまう。全く昔から何も変わってない。
親と離れて、しかも新幹線で3時間以上の遠距離で暮らしている今は、気楽だ。1人で自由に、好きなように。ある意味、無責任にいられるから。そんなコンプレックスも忘れられる。
でも実家の母からの連絡ですら、今でもときどき返せないことがある。
ごめんね。私の勝手な自意識のせいであって、お母さんもお父さんも何も悪くない。とても大事に、私を思って育ててくれた。
2人の元に生まれたことは本当に幸せに思っている。あとは私自身が、もう少し強くなること。そんな自分も認めて受け入れてあげることだ。
あまりに弱い部分で、こんなの自分だけだと思っていたから、今まで表に出せなかった。今日、久しぶりにこのコンプレックスに苛まれた出来事があって、noteを書きました。
共感してくれる人、どこかにいたらいいな。
とんでもない自分語りでごめんなさい。
最後まで読んでくださってありがとうございます。