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同調圧力の強い国で少数派が暮らすには「嫌い」を大切にする
昔からずっとマニアックと言われ続けてきました。
中二病のような「少数派の側でいたい」という発想ではなく、自分の好きなものが、世間的にはマイノリティに属することが多かった所感があります。
アンケートでABテストをしたとして、Aがいいと感じる人は9割、Bがいいと感じる人は1割だったとして、Bになる機会が多かったんです。
コロナ禍で痛感しましたが、日本は未だに村意識が強く同調圧力がとても強い国です。
少数派は「変なやつ」「よくわからないやつ」と肩身が狭くなりがち。
これはきっと日本人が持つ遺伝子も関係しています。
日本人はセロトニンを受容しづらいS(ショート)型の遺伝子を持つ人の割合が7割近いため、無意識に「多数派にいることで安心を得たい」という心理が働きます。
荒くれもののイメージが強い暴走族も、つるみたがりますよね。
あれも群れることで安心し、不安を軽減できるからです。
サラリーマン経験がなく、自分ができることを見つけて生計を立てているため、よく「本業は?」「本職は?」とか聞かれますが、これが正直めっちゃダルいわけです。
言語化して説明できますが、時間がかかりますし、「サラリーマンとして、安定した暮らしを続けることだけが正しい」と未だに思い込んでいる人に、僕の生き方を伝えるのは至難の業。
またABの例えになりますが、Aという職種、Bというふたつの仕事をしていて、そこで得られる報酬の割合が、今月はAが51%とBが49%だったとしましょう。
そして翌月はAの報酬が49%で、Bの報酬が51%になったとします。
こういう働き方をしている人にとって、本職ってABのどちらになるんでしょう?
その月々で、報酬の多い仕事の方が本業と定義されるんでしょうか?
みたいなことを投げかけると、正業に固執する人はたいてい言葉を失います。
多くの人は、自分が正しいと信じていることを確認したい生き物で、それを壊されることはかなりのストレス。
脳に負荷がかかるから、理解したくないのだと思います(これはもちろん僕もそうです)。
トリッキーな生き方をしている自覚があるので、理解されづらいというのは重々承知していますが、色々尋ねられて出した結論があります。
それは「なんでもええやん」というもの。
本音を述べると「こっちは別にあんたの生き方否定してへんねんから、コアな領域にまで足を踏み入れるな」「境界線超えるんやったら、まずそのカチカチに凝り固まった頭を柔軟にほぐすのが先決」「柔らか頭になったんやったら、対話したるわ」と(ずいぶん感情的で上からの物言いですが…笑)。
「なんでもええやん」はバカボンパパの名言「それでいいのだ」に近い感じもしますが、「正しさにこだわっている間に、あなたの人生は終わってしまいますよ」というのが僕の持論。
「正しさにこだわって、何かええことあんのんか?」と「多数派にいる自分を肯定して、安心したいだけなんちゃうの?」とも思います。
正しさや正論を掘り下げていくと、その多くは、生きてきたプロセスで誰かが植え付けた価値観であることも多く、「その根拠は?」と問われれば、「多数派だから」と答える人もまた多いのではないでしょうか。
時代の価値観はこれからも目まぐるしく変わりますし、多数派でいることのみを論拠にしている時点で思考停止だと思います。
僕がお世話になっている企業家の方は、正しさよりも自分の感覚を大事にされており、決断の速度がとても早いです。
「私、それ嫌いやからええわ」とスパッと判断されるのを見て、格好いいなと思いました。
かつて「嫌いという感情を感じてはいけない」と思っていたことがありました。
心に蓋をしていたんですね。
ネガティブな感情自体を否定的に捉えていたのですが、自分が素直に生きるためには、好きも嫌いも両方大事。
もしかしたら、より良い生き方を目指すのに、好きよりも嫌いという感情の感じ方を大事にした方がいいかもしれません。
僕の場合、好きはわかるのですが、「ネガティブな感情、負の感情を感じてはいけない」の禁止令が、まだどこかで残っている感じがするからです。
合わないことや、合わない人に無理やり合わせて疲弊している間に、かけがえのない人生の時間は過ぎていきます。
自分が感じること、ファーストインプレッションを大事にして、今日も生きていきます。
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