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「本来の自分に戻る」この感覚を大事にすれば、今よりずっと生きやすくなる理由

我々はもともと持っている資質と、後天的に刷り込んだ知識や技術によって成り立っている。

「おぎゃあ」と生まれた人間を社会的存在にするためには、固着する前の段階の柔らかい時期に鋳型へ流し込まなければならない。

我々はたい焼きやたこ焼きではないのだが、社会的人間とはたい焼きやたこ焼きのような存在だ。

仙人にでもならない限り、否が応でも現代社会の中で生き続けなければならない。それは浮世のさだめである。

脳が柔軟な段階で教育を施し、鋳型にはめこむ行為は必要(悪)なのだろう。

しかし、その鋳型が合わず苦しむ人がいる。

つまるところ全員にジャストフィットする鋳型などないのだろう。最大公約数的な鋳型が作られるものの、日進月歩についていけない旧型の鋳型がいつの時代も用いられている。

着ぐるみの中の人ではないが、潜在している生の人格が自由を求めて「窮屈なのは嫌。外に出たい」と叫んでいるケースも多い。

そういった本来の自分が発する声を無視すれば、必ず齟齬が起きる。心の問題が時間とともに雪だるま式に膨らみ、中年以降で、取り返しがつかない事態に発展することさえある。

我々は、自身の無意識の声に耳を傾ける重要性を忘れてはいけない。

最近僕は「本来の自分に戻る」という感覚を大事にしている。

これをしていて心地いい、この人といると落ち着くなどは自分の心が「合っている」「一致している」「それでいい」と感じられている証。

反対に妙な違和感があったり、イライラしたりストレスが溜まりやすいことは、本来の自分と合っていないサインかもしれない。

僕はひとりで過ごす時間を大切にしている内向型の人間だが、これまで外向型に憧れたことがあった。

エネルギッシュで社交的な人間になりたいと焦がれた時期があったのだ。

しかし、この挑戦は徒労だったといわざるをえない。

自分にできること、できないことがあるし、できないことを無理やりするのは心が苦しい。心だけでなく身体も苦しい。心身が拒否するような状態が続けば、自分のことを責めるようになるので自尊感情が下がる。

HSP気質やMBTI診断のINFJなどの言葉は、自分を定義して言葉の鋳型に押し込めるというより、自己理解を進めるために役立つと感じている。

ふぅ。

社会では何かと速度が求められる。

何か質問されたときに、スピーディ―に切り返される人材は評価されやすい。

しかし僕は、これが苦手。

なぜなら脳内で「これはこの角度から見るとこうだし、こちらから見るとこうなるな」など多角的に深く考える癖があるからだ。

昔はこの癖自体を嫌っていた。

しかし、こうした思考の深さはライターをする上で役立っている。

それを実感できたのはここ数年だ。

身長と違い、各々の資質、性質というのはなかなか可視化できない。

だからこそ人は悩みやすいのだが、きっと各々にあった生活様式があるし、コミュニケーションスタイルがある。それを見つけられると、かなり生きやすくなる。

本当は生き方など千差万別で、類似するケースはあっても酷似はない。

まるで同じというのは、ひとつもないのだ。

教育というのは、良くも悪くも洗脳を含んでいる。

世間が決めた「正しい」に捉われることなく、あなたの「これ心地いい」「これはフィットする」という感覚を信じることがその一歩になるかもしれない。

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