見出し画像

kindle書籍を2冊書き上げ、気づいた自分の中の依存的敵意|人生の課題と強烈な執着

もうすぐこちらの2冊を出版して、1年ほどになる。

kindle書籍に興味があり「さてテーマは何にしようか?」と悩んでいたのが、2023年の2月頃。

そして無我夢中で書き上げたのだが、自分の根底にあったのは心の痛み、やるせなかな、悲しみなどのネガティブな感情だった。

懊悩やルサンチマンもふんだんに詰まっている。

これらをエネルギーに昇華させ、ガソリンのようにした感覚もあった。

しかし、書き上げたときに感じたのは爽快感だった。

「ふぅ、ようやくこれで次に進める」という感覚もあった。

僕の中にあったのは、悪性のナルシストに対する依存的な敵意だったと気づくことができたのは「歪な自己愛」というテーマに向き合い2冊執筆したからだろう。

「歪な自己愛」をテーマに選ぶということは、そこにそれだけ執着があるということ。

僕の中にも、劣等感や自己不全感から発生したナルシシズムが存在する。

つまり他人事ではないということだ。

依存的敵意についてお伝えしておくと、加藤諦三さんなどの心理や精神を専門にされている人がたまに口に出しておられる言葉で「相手のことが憎いと感じているのに、離れられない執着心」のことである。

以前、僕の顔を見ると近づいてきて嫌がらせばかりをする人がいた。「なぜ、こんなに嫌うのかな!?」と真剣に悩んだことがあった。

彼らは僕が同じ空間にいると、何か言わずにはいられないらしい。僕の顔を見るなりソワソワし始め、矢も楯もたまらず攻撃をしかけてくる人がこれまで数名いた。

しかし依存的敵意について腹落ちしてから、その謎が解けた。

敵意を向けてくる人は僕に執着しており、関心を示して欲しいから嫌がらせをしてくる。

もし僕のことがどうでもよければ、そもそも反応が起きないはずだ。

しかし感情をコントロールできないほどの反応が出てしまうということは、相手の中に自己不全感があるということなのだ。

根底にあるは恐らく、愛着不全や愛着障害。

こういった人たちは、怒りで自分の悩みを表出することが多い。

加藤諦三さんの「テレフォン人生相談」で、たまに「ガチャ切り」をする方がいる。

「ガチャ切り」とは、話の途中で一方的に電話を切ってしまうこと。礼儀を欠く失礼な行為だが、当人は人生でずっと解決できない問題を「さあ、正面から向き合ってください」と突きつけられるのだから相当辛い

自分が執着してしまうことは、自分の人生の課題を表している。

問題と対峙するしんどさは嫌になるくらい知っているつもりだが、まず最初の段階として逃げずに「今の自分はこの問題を抱えている」と受け止めるだけでもいいかもしれない。

逃げ出したくなるほど辛いことは、きっとその人にとってそれだけ重要であるにちがいない。

人生には
・問題から逃げる生き方
・問題と向き合う生き方

の2種類がある。

逃げる生き方を選び続けてきた回避的な人間ほど無力感にさいなまれやすく、自身の力で人生を切り開く力が弱い。

問題と向き合う体力やスタミナがついていないからだろう。

問題や課題が顕在化することはかなりのストレスであるものの、チャンスでもある。

kindle書籍を書くことで、自分が持っていた依存的敵意に気づけたことで前へ進めた。

時間がかかってもいいし、みっともなくたっていい。

その問題の根っこにあるものは何であるかを理解し、向き合った経験は必ずその後のあなたの人生の糧になるだろう。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?