実家暮らしの頃、ネット依存症だった話「人は繋がりがないと生きられない説」について

「先輩、これ読んでくださいよ」
「おお、今週も持ってきたんか。読ませてもらうわ」

自宅で印刷してきたエッセイを先輩に渡すと、真剣な顔で読み始める。

「今日はどんな反応が返ってくるんやろ?」と僕は内心ワクワクしていた。

まだライターとして活動し始める前、僕は毎週のように先輩の家を訪れていた。

専門学校で仲良くなったこの先輩は、笑いのツボがよく似ており、話す機会が多かった。

当時はまだVHS時代。
お互いの好きなお笑い芸人のネタを撮りためたVHSの貸し借りをしていた。

実家を出た僕は、初めてのひとり暮らしをする場所を、先輩の家の近くに選んだ。

誰もいない土地を選ぶのは、心細いという思いがあった。

毎週のように先輩宅を訪れ、小噺のようなエッセイを読んでもらい、感想を聞く。

この先輩はゲラなので、僕の原稿を読みながらケラケラ笑ってくれる。

これが嬉しかった。

さて、こちらは依存症の研究などをしておられる精神科医の松本俊彦さんの動画。

松本さんはこちらの動画で「アディクションの対義語はコネクション」という非常に興味深いテーマを語っておられた。

アディクションは依存症、コネクションはつながり。

つまり、つながりが絶たれ孤立した状態になると、人は依存症に陥りやすいというわけだ。

僕が「ひとり暮らしをしよう!」と決意したのは、母とのふたり暮らしのフリーター生活が辛く、そこから抜け出したかったからだ。

焦燥感があり昼夜逆転の生活をしていた僕は、どっぷりネットに依存していた。

松本俊彦さんは、上記の動画の中で「依存症の中心には痛みがある」とおっしゃっている。

この痛みは、孤独による痛みだ。

社会から孤立していた経験が長かったので、とてもよくわかる。

痛みを一瞬忘れられると、気持ちいい。あくまで一瞬だけだが。

実家暮らしの頃の僕は、孤独で心が痛む自分を忘れたくてネットに依存していた。

しかしその痛みの多い暮らしに耐え切れず、バイト代を溜めてひとり暮らしを始めた。

この頃の僕は不安でしかたなかったのだが、それゆえに気心の知れた先輩とのつながりを無意識に求めたのだろう。

この先輩が「自分(僕のこと)の書く原稿は、いつも面白いなあ」と笑ってくれたので、書き続けられた。

先輩には、今でも感謝している。

このポジティブな反応があったおかげで、書き続けることができた。

アメリカ人の作家ケリー・ターナー氏が「孤独は1日15本の喫煙と同じくらい寿命を縮める」と何かに書いていたが、つながりのない状況が続くと人は病みやすくなる。

つながりとは、人とのつながりだけを指さない。

没頭できる趣味や対象などがある人は、人以外とつながることもあるだろう。

「推し活が心に良い」とよく言われるのは、強いつながりを実感しやすいからに他ならない。

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