片付けで向き合った「モノに込めた思い」

片付けに凝っていた時期がある。
効率良く収納するのは恐ろしく苦手で、減らすことに集中していた。
おかげで総量が四分の一程度まで減らせた。

その中の一つに、とある「ぬいぐるみ🐯」があった。
それは、僕が生まれる時に、姉が買ってきてくれたものだった。
とはいえ、僕はそれを処分したかった。
それに対してそんなに良い感じがしなかったし、(ときめかなかったし)
とにかく部屋から無くしてスッキリしたかった。

ということで、そのぬいぐるみにどんな思いを込めているか、向き合ってみた。

見えてきたのは、「姉の罪悪感」と、「それを背負ってきた自分」だった。

ぬいぐるみに、「もう手放してもいい?」と心の中で聞くと、

「・・・捨てちゃうんだ。やっぱり許してくれないんだね。
 私は妹が欲しかった。一緒に遊べる子が出来る、と思ったのに。
 あんたなんか生まれてこなければよかった!!」

そんなことを答えた。

姉は、本当は妹が欲しかったので、弟だと分かった時には文句を言っていた、
という話は聞いていた。
しかし、それでも僕が生まれた日、そのぬいぐるみ🐯を買ってきてくれた。
僕にはそれが、罪悪感から買ってきたもので、姉の為に背負わなければ、と思っていたようだ、とその時気付いた。

もちろん、姉が実際に罪悪感を抱えていたかどうかは分からない。
ただ僕がそう捉えていた、ということだ。

僕は、

「男で生まれてきてごめんね。仲良く出来なくてごめんね。
 出来れば女の子で生まれてきたかったけど。。。
 でももう、背負いたくないんだ。」

そう言って、胸の辺りに手を当てて、深呼吸と共に光を流し込んだ。
最後に、そのぬいぐるみ🐯が言ってくれたこと。

「そんなに自分をいじめるな 🙂」

僕は小さい頃(二歳位まで)、写真を撮る時、頬に指を当てて女の子のようなポーズをとるのがお決まりになっていた。
そうすると皆が笑う。
そうやって必死になって受け入れてもらおうとしてたのかな。。。

その後、滋賀に行く用事があったため、年中人形供養を受け付けている滋賀県内のお寺に持って行った。

ちなみに、もう一つ、ムササビのぬいぐるみも一緒に持っていった。
これはこれで後になって向き合うことになったのだが、それはまた今度、
書くかもしれません。


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