壊れた鏡の破片を拾い集める日々④(全5話)
いつまでも私の心に刺さる硝子の棘。
ずっと人には言えなかったこと、
4つ目で、ついに書きます。
手紙の返事
結婚式を挙げる時、両親に手紙を書いた。
以前から式で花嫁が両親に手紙を読むのは変だと、母・祖母から言われていたので、式では読まずに、前夜に式場のホテルで読んで渡した。
まだまともな両親だったと信じていたから、泣ける手紙をちゃんと書いた。
それから4年が経った。
妊活をしていたが、なかなか授かれず、ようやく子どもを授かって妊娠中だった。
突然、母から、ずっと結婚式の時の手紙の返事を書きたかったけど、書けなくて、やっと書けたからと、手紙を渡された。
何これ、感動の手紙!?と思って読んだ。
5-6枚あったのだけど、一番の要点は
「やっとあなたに話を聞いてもらえたのに、赤ちゃんに、あなたを取られてしまうようで嫌だ。でももうこれ以上、毒親にはなりたくない。」
という内容だった。
驚愕だった。ショックだった。
その時、母はうつを再発していて、一番調子の悪い時だった。
けど、そんな手紙を書いてくる程に調子が悪いとは思っていなかった。
私の人生で一番くらいの喜びを喜んでくれなかった母。
「病気が言わせている(書かせている)だけで、母の本心ではない」
そう思うようにして、ただ母の病状が寛解するのを待つことにした。
母も誰にも話せなくて、聴いてもらえなくて、苦しいんだろうなとは思う。
でも私は母の友達ではないし、カウンセラーではないんだ、もう疲れたんだ、だから近づき過ぎないように距離をとっているんだ。
いい加減にもう分かって欲しいな…。
「子どもにとっての本当の幸せが一番の自分の幸せ」
あなたとは違って、心からそう思える親に、私はなるからね、もう邪魔しないでね。
あじさい電車
高校生の頃、あじさい電車と呼ばれる箱根登山鉄道に乗ってみたくて、何故か覚えていないけど母を誘った。
きっと高校の友達を誘うには箱根だと遠いし、あじさいを見たいなんて渋いと思われそうで誘いにくいとか、その程度の理由だったと思う。
いつも体調が優れず、なかなか一緒には出かけてくれない母だったが、この時は一緒に行ってくれた。
私は正直、スイッチバックしながら山を登っていくケーブルカーが楽しかったくらいしか覚えておらず、忘れてしまった…。
あじさいは見頃だったのか、どれくらい咲いていたのか…母とどんな会話をしたのか…。
記憶力は悪くない方だと思っているけど、高校生の頃のことに関しては、本当に予定を詰め込みすぎていて、記憶が途切れ途切れになっている。
そんなちょっと忘れかけていた母とのお出かけ。
母と思い出を話すこともなかったし、母からまた行きたいとか言ってくることもないけど、母は箱根登山鉄道の切符を捨てられずにずっと大切にとっておいて眺めていたのだと。
実家のリフォームの時にその話を聴いて、ちょっと切なくなった。
そんな風に思っていてくれるならさ、生きているなら、また行こうよ…。
本当は私はいつだって一緒に色々なところに出かけたかったんだよ…。
ちょっと短いけど、今回はこの2つのエピソードで終わり。
何か書いていて、共依存的だった時もあるのかなって気もしたり、何か恐い母娘ですみません…。
こんな母娘いるのかな…。
母親、やっぱりおかしいと思うのだけど
普通がよく分からないし…
親子のあり方なんて親子の数だけあるだろうから、何が普通とかないのは分かっているの、
だけど、何かちょっと変だし、そのせいで今色々なことを悩んでいるような気がしてならないのです…。
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