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「思い込みについて」の謎の思い込みの話

【思い込み

アンコンシャス・バイアス

意味 :  無意識・偏見

『思い込みがないと思うこと』こそ、一番の思い込み】


※ところどころ、スピリチュアルな話になっていきます。苦手な方は御遠慮されて下さい。私個人の見解もありますので、面白そうと思って読んで頂ける方のみ、お読み進みくださいませ。

このnoteは普通の人が書くnoteではありません。普通になりたくても、なれない少し変わった人のnoteです。ご了承くださいませ。


思い込みについて。

私の思ったことを書きます。

思い込みは本当に怖いのです。
たとえそれが人を不幸にする思い込みでも、思い込んでしまえば、変えようとも思えません。それが一番良いことと思っていますから。
思い込んでいる人は、自分が思い込んでいると気がつきません。もはや洗脳と呼ばれるものに発展していれば、それが一番正しいことだと思い込んでいます。それが恐ろしいのです。
洗脳の内容によっては人に危害を加えたり殺めたりします。人間として一番やってはいけないことを、洗脳された人は善行だと思ってしてしまう。すべては取り憑かれたような思い込みで。
信じて疑わないのですから。本人も周りも悲劇です。

では、思い込まないようにするには、どうするか?

色んな方が、そのことについて論じていると思いますが

私が努力していること。

今までやってきたことは
自分自身の思考に気をつけることしか、わかりません。

視野を広げて、いつも自分の思考に疑問を持っています。

絶対なんてことは、この世界の何処にもない。

だから常に自分しかない。と思います。自分自身が、しっかりするしかない。しかし、その自分だって信じられないことがある。
せめて信じるものを作りたいから、自分達の心の内側と繋がっている宇宙を信じたい。それは一人一人の心の中にあり、感謝と調和の世界だから。誰もが自分の外側に安心を求めているけれど、実は自分自身の内側に、すべて持っているから、それに気づいてほしいと思う。

自分の内側にあるものが外側に反映されていると言われています。

今の自分の周りの現実が嫌な方にとっては、それは信じたくないことです。
現実の変え方についてスピリチュアルな世界では、何度も学ぶ事柄では、あります。

地球のこの世界では自分が良いと思っていることは、実は、他の人にとっては違うことかも知れない。

人間の根本的な善悪は、きちんと踏まえた上で、いつも自分の思考を疑う。

宗教についても、教えの中から人類を幸せに導く教えと、人を不幸にして混乱を招くような教えが混在している宗教がわかるので
だんだん一つの宗教を信じることが、できなくなります。
なので私は宗教には没頭して入信しないようにしています。

宗教は、ある意味
地球人を平和にもしましたが、政治に利用され、人を洗脳して不幸にもしました。ある意味、宗教だけがすべてだと盲信して、視野狭窄だと気がつかない人達は、宗教で争います。

元々は、すべて愛からできているものを信じていたり
人を幸せにするものを信じていたりしたのに。

それらは高次元のエネルギー体なのですが、それがよくわからない人もいるかと思いますので、それで宗教での説明になるのですが。

私は日本人ですから仏教も神道も幼い頃から身近にあります。両方とも同じように思っているのですが、それは何故かというと

神道の神々も仏教のお釈迦さまも
『高次元の霊的な存在』ということが、わかりますから、それはキリストも同じ。高次元の霊的な存在です。高次元の霊的な集合体の総称になっています。天使も妖精も同じ高次元の霊的な存在です。私達の御先祖様も、沢山の修行や善行を重ねて高次元の霊的な存在に戻っていく方は、星の数ほど、いらっしゃるのです。

これは宗教でも、なんでもなく

理解できる方は
霊的な目覚めが進んでいる方で

宗教の概念を超える事柄の一つだと思っています。


スピリチュアルな世界では、普通の話です。


これもまた
私の思い込みでしょうか。


また周りのすべてのものには「微精霊」が宿っていると聞いたことがあります。
その微精霊は人の『良い気』を食べて存在しているのだそうです。良い気というのは、やはり一番良いのは『感謝の思い』だということです。

それとは反対に『悪い気』(不平不満、愚痴、泣き言、恨み憎み辛み、嫉妬。など)を放っていると、その人の周りに悪い微精霊が集まるようです。そうすると、その悪い微精霊の影響で悪いことが起きやすくなり、運が悪くなり、不幸になります。

なので、なるべく良い気を放っていたほうが、良い微精霊の影響を受けるので、人生が楽しく、幸せなものになるかと思うのです。

すべての人が『微精霊』を確認することが出来れば、これは真実で事実になるのではと思います。すべての人が確認ができないので
現在は思い込みの範囲ということに、なっています。

これも、私の思い込み‥

いつも「自分はどうなのか?」を考えることにしています。他人を責めずに済むからです。他人の思考は変えるのは難しいです。まずは自分はどうか?と。

気がつくことで、もう思い込みの半分以上は、思考が柔軟になっていると思うのです。

先日、本の題名は忘れたのですが、思い込みに関する本を読み、その内容を下記にメモ書きします。

【思い込み/アンコンシャス・バイアス(無意識・偏った見方)

思い込みがないこと思うことこそ、一番の思い込み。

断片的な情報だけで物事を捉えてしまうのは間違った考え方。

今の常識で本当に正しいかどうか見分けるには

「時々、自分の置かれている状況について、別の視点はないかと考えてみること」です。

「人と違う考えなんだ」と発見します。】

以上です。

思い込み、凝り固まった思考は、常に変化していく私達にとって不自由で不自然なことだと思っています。良いところは捨てずに、今の自分にとって合わない考え方や、不幸にするような思い込みは捨てて、新しく考え方を更新していく必要があると思うのです。

また、自分と違う考え方をする人のことも「そうなんだね」という
暖かくて大きな心で受け止められたらいいですね。そういう人になりたいと思うのです。

スピリチュアルな話があまり苦手な方や、聞き慣れていない方にとっては、今回のnoteは不思議な話もあったかも知れません。

こういうことを思う人も、世の中には
いるんだなぁと、受け止めてくれて

最後まで読んで頂きまして

感謝します💐


ありがとうございました。

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