解離性障害(心ここにあらず。魂の曇り)

「心ここにあらず」とは、今やってることと、違うことを考えていることである。
「心ここにあらず」つまり「今ここ」に心が居ない状態は、解離だと言われる。そんな自分が今にいない状態で何か作業していたら、ミスをするのは当然だし、注意が散漫になって、危なくて仕方ない。意識や記憶が今に定まらない。今にフォーカスしないで、過去や未来、場所も離れたところに思考が行くことは、今に生きていない。今を楽しんでいない。今を楽しめない。本当は、今を楽しむべきなのだ。今の連続が過去を作る。人生を作る。今に生きてない思考、意識が解離して生きていると、ミスをして、不運なことも重なり、そして不幸な出来事が起こりやすくなり、不幸な1日、不幸な1週間、不幸な1カ月、不幸な1年、不幸な一生になる。
でもなぜそんなに今に生きれないのか?解離性障害と診断されてない人も、それは困ってないから病院に行かなかっただけで、解離性障害は、現代の人は誰でも軽くなっていると私は予想する。魂のズレ、曇りだからだ。魂がしっかりと肉体の身体にはまってない、つまり魂のズレがあると、「今ここ」に居られなくなる。それはなぜ起きるのか?というと、魂に色んなゴミ、余計な要らない物、要らないエネルギーが付着する。
白川神道で魂は一つの魂の中に5つあるとされ、荒魂、和魂、幸魂、奇魂、精魂の五魂があるとされる。その一つ一つに余計なゴミがつく。余計なエネルギー、余計な念とか思いとか気とか。そうすると、その魂はゴミ、余計なエネルギーが付着しているので、一つにまとまらない。表面にゴミがついて、くっ付かずにバラバラになってしまうのだ。そして、その魂はフラフラと宙をさまよう。だから「心ここにあらず」の状態になり、今ここに居られず、意識が解離するのだ。だから解離を治すのは、魂に余計なエネルギーを付着させないこと。魂の浄化が治療になっていく。

解離性障害は私の経験だが、薬があまり効かない。薬が効かないから、眠れなくて眠剤をいくら飲んでもあまり効かない。魂だから脳の作用に働かせてもダメなのだ。見えない意識、魂の領域。薬よりも、良い食べ物を美味しく食べて、魂を浄化したほうが、解離は治る。薬より食べ物のほうがエネルギーがたくさんある。そして「今ここ」に意識を合わせる努力をする。前のnoteで「精神病から、脱出する」と「消えたい、を回避したい(希死念慮の解消)」を書いたが、その内容にも書いてある。私は身体、脳には薬を効かせておいてから、『ゆっくり睡眠をとり、ゆっくり感謝してご飯を食べ、ゆっくりお風呂に入り、ゆっくりと深呼吸して、ゆっくり太陽の光を浴び、ゆっくり自然に触れて、ゆっくり善い言霊を聞くor話す。』これをやっていて、病気になる人を私はみたことがない。
現代では、これらをすべてすることは、不可能に近い事柄なのではないか?と思う。だから病気になっている。そう私は思う。
どれか一つでも良いので、ゆっくり感謝してすることが、魂の癒しにもなり、浄化にもなり、精神的な病気から脱出することになるのではないか?と私は思うのです。

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