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『背高泡立草』古川真人

大村奈美は、母の実家・吉川家の納屋の草刈りをするために、母、伯母、従姉妹とともに福岡から長崎の島に向かう。吉川家には〈古か家〉と〈新しい方の家〉があるが、祖母が亡くなり、いずれも空き家になっていた。奈美は二つの家に関して、伯父や祖母の姉に話を聞く。

集英社

いやあ、久しぶりに時間がかかった読書だった。そして久しぶりに芥川賞作品を読んだ。やっぱり分かりやすい面白さではないけれど、噛み砕いて噛み砕いて味が出るみたいな、そういう旨みのある小説が選ばれるなと思った。

『背高泡立草』について書くとき、構成については触れざるを得ないだろう。全部で九章あるうちの四章分は、本筋の草刈りとは違う話が挟まれる。スピンオフみたいな。
最初、知らずに読んでいたので戸惑った。急に時代が変わって、知らない人の話が始まって、何か見落としたかと思ってもう一度初めから読んでしまった。違う話、かと思わせて実は納屋の記憶が書かれていた。本筋の主人公が大村奈美だとしたら、スピンオフは納屋の目線で語られているように思えた。スピンオフと本筋を繋ぐのは「納屋」だ。

戦前から現在まで、そこに在り続ける納屋が吉川家とかつての人々を繋ぐ。ずっと昔から納屋があるということは、現在に至るまで納屋を修繕し、草刈りを怠らずにした「人」が間違いなくいるということだ。奈美は初めから「何故空き家になった納屋の草刈りをするのか」と親戚らに問いかけるが、はっきりとした答えは返ってこない。代々そう思った人がいなかったわけではないだろう、それでも今まで納屋は受け継がれているのだ。質問の答えは終盤、奈美が自らでたどり着いている。
場所が繋ぐ記憶と言うと、少し前に読んだ『百年と一日』にも似たようなものを感じた。

以下、ネタバレ注意⚠️


ラストシーンについても言及したい。
草刈りを終えた一行は哲雄、加代子は敬子婆ちゃんの家に泊まり、美穂、奈美、そして知香は泊まらずに自宅へ戻る。

帰りの車中、草刈りに疲れて眠ってしまった知香が夢から覚めたセリフで本編は終えるのだが、その終わり方がとても良かった、というか自分好みだった。

暗い車内から前の夜景をじっと寝惚け眼で見つめ、数秒のあいだ彼女は固まったように同じ姿勢で居たが「ああ、そうか」と言い、その声に振り向いた奈美に笑いかけた。「いま帰ってたんだったね。これから草刈りに向かう夢を見てたから、びっくりした」

p.142〜143(単行本)

この最後のセリフ、良いですね。
わたしはこの納屋は今後どうなっていくのかがずっと心配だった。納屋の草刈りは歳を重ねると出来なくなる。みんなどうしても死んでいってしまうし。美穂たちの代までは良いが、奈美と知香は草刈りをさぼりがちだったので不安だった。しかし、この最後のセリフ。きっと二人はこれからも納屋の草刈りをしてくれるんじゃないかな、と思えた一言だった。

ちなみにこのセリフの前、美穂と奈美は今日納屋の草刈りで出合った草花の名前について話し合う。その中のひとつがタイトルにもなっている「背高泡立草」。花言葉は「生命力」だった。生命力かあ、これが何を意図するのか考えるのは楽しいかもしれない。

最後に。登場人物の名前がたくさん出て複雑だったので家系図にまとめてみました。わたしは親戚がたくさん出てくる小説を「一家小説」と呼んでいる。その繋がりで次は滝口悠生の『死んでいない者』をこの夏は読みたいと考えている。(やっぱりお盆あたりかな)

間違っているかもしれませんが…

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