『教育』遠野遥
読書人が遠野遥を絶賛する。
『改良』『破局』『教育』『浮遊』の感想で読者が共通して言うのは独特な世界観ということ。
自分は遠野作品は『教育』が初めてだったけど、どの作品もきっと奇抜で、この作品から読み始めるのがおすすめ、みたいなものが無いのだろう。
私はオーディブルで聴いたが、発売された時に本屋でその装丁や帯文は見ていた。そのあらすじを読んでも全く意味が分からなくて、でもあらすじを読まないと話が始まらない。
正直、こういう作品は自分好みではない。どちらかと言えば嫌いなジャンルの作品になるだろう。遠野さん自身、万人受けされる内容では無いことも分かっている(インタビューで見た)。
ただ、私は否定している訳ではなく、読めて良かったと思っている。そう思うのは、やはり内容が良いのだ。好みでは無いと言ったけれど、良いものは良い。多分『教育』を読んで同じような感覚の人は多いと思う。
学校のシステムとしては、クラスは全てで四つ、一番上が特進クラス。目上のクラス、先生、先輩に対しては徹底した敬意を表さなければいけない。特進クラスを目指して生徒たちはカードを透視で選ぶテストを受ける。テストの正解率が高ければ上のクラスに行けて、悪ければ降格することもある。
成績を上げるために生徒たちは性行為をするが、それと透視のテストはどう考えても結びつかない。
私はクラス分けは学園への従順度で分かられていると思った。降格すればイライラと共に日々過ごすことになって雑念が増えていく→カードも選べなくなるのだろう。下のクラスには感情というか、意思があって、上のクラスほど学校の意図を考えずに言われたことをやるだけ、という生徒が多そうだ。
作品中には様々な部活が出てくる。
そしてそれに絡んだ本文の内容とは全く関係のない、劇中劇が繰り広げられる。
翻訳部で翻訳された本の内容、催眠部がかける催眠、演劇部の演劇、そして部活ではないが主人公の見る夢。
劇中劇の大体は比喩だと思う。しかし、今作は絡まりもせず、何を表しているかも分からないまま終わる。遠野さんの劇中劇に込めた比喩があるとしたら私は読み取れていないが、個人的にここから受け取ったものを書く。
劇中劇こそ、読者への洗脳なのかなと思った。生徒たちが学園から受けている教育は、ほとんど洗脳と変わりない。その感覚を劇中劇を用いて、読者に伝えているようだ。本文の世界と劇の中での世界の境界線を分かりづらく曖昧にしているのかもしれない。
全体像は分からないことの方が多く、はっきりしない気持ちで聴いていたがラストで一変した。
ラストシーンに今までの答え合わせがあるかと言われると、そんなものはなかった。謎は謎のまま読み終えたし、疑問も残った。ただ、このラストシーンが凄く凄く好きだった。
今までの展開的にはベタというか、奇想天外な発想、設定のくせにオチはこうなるの?と物足りなくなるかもしれないけど、私的にはこのラストがあるから文学として成り立っている、くらいまで思った。あの場面を読むために今まで読んできたのだという感動。全く泣けるシーンとかではないけど笑
自分は『教育』を読み終えた感想に自信がなくて色んな人の感想を読んだ。大方の解釈は教育の在り方への比喩、という感じだった。私もそう思う。ただ、それをテーマに描くとしても、自分だったらこうはならない。"遠野さんワールド"という言葉がある意味が分かった気がする。
刺激的で新しい価値観を見せつけるような小説が読みたい人におすすめかな。実際、紙書籍で読んだら捲るページが止まらなくなるのだろう。
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