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『夏の裁断』島本理生

女性作家の前にあらわれた悪魔のような男。男に翻弄され、やがて破綻を迎えた彼女は、静養のために訪れた鎌倉で本を裁断していく。

文藝春秋

島本理生は『ファーストラヴ』で直木賞を受賞した作家だが、芥川賞の候補にも何度か選ばれていて、この『夏の裁断』は芥川賞の候補だった。
候補になったのは『夏の裁断』のみだが、文庫になるときに続編と言える「秋の通り道」「冬の沈黙」そして「春の結論」が収録された。

正直、「夏の裁断」はよく分からなかった。分からなかったというのは内容のことではなくて、主人公の感情の部分だ。どうしてこんな煮え切らない態度をずっと取っているのだろう、なんでこんな男のことを好きになるのだろう、と疑問は拭い切れなかった。柴田という男の人物像もよく見えてこなくて、その余裕綽々とした態度にもうーん、という感じで。

ただ、主軸として自炊(書籍を裁断機で切り、本をデジタルデータに変換すること)をしながら、過去の恋愛を振り返る形を取ったのが良いと思った。主人公は小説家で、その職業の人が本を切るとは自分の命を切るように感じるのではないだろうか。

ざくり、と刃が沈んだ瞬間、下腹部から不本意な欲情にも似た熱が突き上げてきた。仔猫や赤ん坊が可愛すぎていじめたくなるときのねじれた愛情に全身の血が沸き立った。

p.29 l.14〜16
文庫

この一文を読んだときに、似たような気持ちを知っていると思った。この感情は『蹴りたい背中』で読んだことがあるぞと。そして主人公が本を裁断することは、柴田さんにとって主人公へ抱く感情に似ているのではないかと考えた。多分好きだとか嫌いだとか、どっちつかずな態度を続けたのは、好きだから「傷つけたい」という感情が常にあったのだと思う。だからこそ、主人公は柴田さんのことを好きだったとしても、関係を切らざるを得なかった。その結果がフォークで刺す、だったのだろう。

主人公は柴田さんへの想いを払拭できずに、続々と他の男とも関係を持ち始める。全く理解はできないけれど、寂しさを埋めるみたいな感じなのだろう。
絵を描く猪俣君、芸能の仕事をしている王子、そして会社員の清野さん。

続編の「秋の通り道」からは清野さんとの交流を描く。清野さんとの出会いからは納得できることも多くなった。傷つけ、傷つき、名前のない関係性を打破すべく清野さんへの気持ちを吐露するも、話を逸らされてしまう。
主人公の不安感はどこから来ているのだろう、と考えてみると、「信頼」だろうと結論が出た。それも自分だけが一方的に信じている状況は一番駄目で、互いにが大事なポイント。

以下ネタバレ注意⚠️です。


一度は清野さんのことを「信じられない」と伝えた主人公が再び会いたいと自分から言えたことは、柴田さんのときから少なからず成長したと言えると思う。そして柴田さんに少し似ている清野さんも実は成長、というか考えの転換があったようだ。

「(略)私のこと、どう、思ってるんですか?」

「そういうのは言葉にしないでおきたいんです」

p.163 l.13〜16

と言っていたのが、

「時間がかかるタチなんです。なんでも、考えたり、答えを出すのに。そして結果的に嘘になるかもしれないことは、やっぱり、言いたくないんです。だからこそ、信じられないと言われたことで、自分がいる意味はないと思ってしまって」

p.245 l.6〜8

と、自分の"なぜ言葉にしたくないか"を伝えることに成功している。二人とも互いに交流していく中で、形のある関係に囚われていたのかもしれない。だから自分たちの有耶無耶な関係性に自信が持てずに空回ってしまった。二人が再び話し合うことで出した結論がわたしは好きだ。

もし、なんの約束も名前もないままに、会いたい、という気持ちだけで会い続けることができたら、それは愛とか恋とかと同じくらいに美しいことかもしれないですね」

p.248 l.4〜5

ずっと部屋に人を入れたくない、気配が残る、とか言っていた清野さんが最後には家に「遊びに来ますか」と誘ったところを読んで、少し嬉しくなった。ようやく主人公は報われると思ったから。

やはり一端の恋愛小説とは言えないかもしれない。最後に結ばれたり、失恋したりという結末を踏んでいないから一般的なとは言えないだろうけれど、ここには間違いなく愛がある。
愛には色んな関係が存在する。恋人や家族になるというのは一つの手段で、二人はそれは選ばなかった。二人は敢えて名前のある関係にはならずに、約束の一番脆い形をとった。信頼が持続しなければ消えゆく関係。これは全体通して「信頼」の物語なのだと思う。
二人がどんな未来を歩んでいくかは分からないけれど、それが幸せと結びつくと良いなと思って本を閉じた。

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