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『ヘヴン』川上未映子

川上未映子さんの文章はどうしてこんなに惹き込まれるのだろう。彼女の小説をまだ数冊しか読んでいないのに、信頼できる作家だと確信している。(何様)
この人の文章は手放しで賞賛できる。それくらい言葉にパワーがある。

『ヘヴン』は中学生のいじめの話だ。
一つのクラスに二人へのいじめが存在する。いじめのターゲットである二人が隠れて文通するところから始まる。家庭環境の違い、いじめへの想い、男子と女子…似ているようで違いもたくさんある二人が、自身へのいじめについて考えることで人としての倫理観などを問う作品だ。

いじめをがっつり扱う作品はいくつ読んできただろう。小説でそういう作品を読むのは何度もあったかもしれないけれど、いじめの辛さがこんなにも読者に伝わる作品は案外初めて読んだかもしれない。
『かがみの孤城』や漫画だが『聲の形』などにはいじめの描写が出てくるが、やっぱりどの作品も伝えたいテーマは少し違う。
『ヘヴン』は最初から最後まで一貫していじめが解決されていなく、希望の要素が極端に少ない。

なぜこんなにも読んでいて辛く苦しくなるのだろう。理由の一つに、登場人物たちの感情がストレートに伝わる作品だったからかなと考えた。

主人公サイドで言うと、体育館で人間サッカーが始まったところや、その怪我が自転車との事故だと嘘をつくところ、百瀬との会話、コジマからの手紙が来ない日々。
コジマ サイドだと、家族のこと、日々のいじめ、公園でのラストシーン。

挙げていけばほとんどがいじめのシーンだから、キリがない。ただそうやって思い出せるくらいに彼らの日々は闇かと思うくらい辛いものばかりだ。
いじめとは縁のない生活でゆるゆる生きてきた私が、こんな世界が人為的に作り出されることを知り、辛くなるということは彼らの感情が伝わっているからかなと思った。
描写だけを見て辛い、悲しい、となっているわけではなく、それをされた感情まで無意識に考えているのだ。

とくに印象に残る百瀬との会話シーン。

主人公と長々と話し合った百瀬の「いじめの根本的な話」は到底自分には共感できないけれど、理解はできてしまう。
いじめというほど大きなことが自分の身近になくとも、意味が分かってしまった。嫌われる人の特徴や共通点というのは案外なくて、自分の気分やら欲求やら、そういうしょうもないことが原因だと。

そして終盤付近の主人公が斜視の手術をするという話をコジマに打ち明けたとき、百瀬の言ういじめの原因が斜視であることではない、という話を理解しているのだなと感じた。

コジマは最後、聖母のようにいじめてきた人を自分の手で包み込むかのような場面がある。
衝撃的なシーンだけれど、反撃したって意味がないことを知っている彼女にできる精一杯の解決策だったのだろう。あの場面は僕とコジマ、互いが関係していたから、守り合う形ができたのだろう。僕だけだったら、二宮や百瀬に石を投げつけていたかもしれない。コジマだけだったら全てを受け入れてしまっていたかもしれない。
ただ、人間の尊厳を守り抜いたシーンだと感じた。

いじめを扱った作品だったけど、いじめについて考えさせられる作品ではなく、人の欲求や、あるべき姿、倫理観を考えさせられる作品だった。

最近ニュースを見ていると殺人事件や、悪質な動画投稿、少し前まであまり見なかったそういう、人間による事件が頻発しているように思う。

今一度、人間としてどうあるべきか考えたい。

憎しみや嫉妬というような感情は人間である以上、無くなる感情ではない。
だからと言って危害を加えてもよい原因になるわけではない。そういうどうにもできない感情とどう向き合っていくかが、その人の在り方なのかなと、しみじみ考える。

『ヘヴン』は立ち止まって考えるきっかけになった作品だった。

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