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『えーえんとくちから』笹井宏之

『えーえんとくちから』は歌集だ。リズムの良い"えーえんとくちから"というタイトルは、この歌集の初めにある短歌から取っている。

えーえんとくちからえーえんとくちから永遠解く力を下さい

p.5

不思議と掴まれる。"えーえんとくちから"という音を耳のみで聞いた時、私たちが頭に浮かべる文字は「永遠と口から」と「永遠解く力」だろう。笹井宏之の歌は一発で意味のわかるものは少ないように思う。時には上記のように言葉遊びをしている歌もある。
一筋縄では行かなく、自分に考えさせる余地がある歌。それが笹井宏之の歌で、想像力が試される彼の歌は自分にぴたりとはまった。

短歌というのはそもそも五・七・五・七・七で表される。全部で31音。たった31音で情景や感情を表さなければならない。そうなると全部を言葉にすることは必然的にできないだろう。どんな素人が作る短歌も、理解しようとするなら自分の想像力を働かせなければいけないだろう。

「考える余地」が短歌には自然と生まれる。どの歌にも。なのに、なぜ私は笹井宏之の短歌に惹かれるのだろう。

瑞々しい、鮮やか、というのが一つ理由だと思う。分かり合えない歌というのがなかったように思う。どういう意味なのか考え始めると、時間がかかったとしても、自分にとって腑に落ちるポイントが必ず見つかる。そうすると、ぱっと頭の中で風景が鮮やかに浮かぶのだ。物によっては匂いや風を感じることもあった。私が一番匂いを感じたのは次の歌だ。

それなりにおいしくできたチャーハンに一礼をして箸をさしこむ

p.35

「チャーハン」という食べ物、それから一礼する仕草。それが頭に浮かぶと、この文字列がとても鮮やかに見えた。チャーハンは作る人によって味が変わるし、それなりにという枕詞も良いし、スプーンではなく箸というのも味がある。何もかもバランスの良い歌だと思った。

瑞々しい、鮮やかと言うのなら他の歌人もそうだろう。とくに笹井宏之に惹かれるのは他にも理由がある。それはまさに穂村弘が解説に寄せた言葉の通りで。

一首一首の歌が、一つ一つの言葉が、未来の希望に繋がる鍵の形をしている

p.197 穂村弘

「希望」というのがポイントだ。私が歌集を求める時は言葉に縋りたい時だ。絶望に近い状態から、明るい未来に繋がるような言葉が欲しい時に開く。そんなときに暗い短歌よりも背中を押してくれるような言葉に惹かれるのは必然的だ。

とは言え、全くハッピー100%というような短歌があるわけではない。影のある短歌から奮い立たせて未来に繋ぐようなものにとくに惹かれた。

しあきたし、ぜつぼうごっこはやめにしておとといからの食器を洗う

p.108

生きてゆく 返しきれないたくさんの恩をかばんにつめて きちんと

p.135

笹井宏之の歌に出てくる人たちは決して強いとは言い切れない。上の歌には「ぜつぼうごっこ」という言葉があるし、下の歌には最後に「きちんと」とある辺り、何かプレッシャーのようなものを感じる。強くないし、完璧じゃない。でも負けないで頑張ろうと未来を向いている。

例に出した二つの歌は読者に向かって「頑張れよ」とエールを送っているものではない。応援歌ではないものの、ここから何か感じ取って自分自身に還元することはできる。押し付けがましくないというか、そんな姿勢が好きだなと思った。

人はなんでも上手くやろうとしがちだし、理想とかけ離れてしまったら自分に落ち込むこともある。でも完璧な自分がいるわけないし、落ち込んでも生きていかなくてはいけない。そんなときに紹介したような歌が自分の心にあるだけで、未来への「希望」があると分かってまた頑張れる。

私が笹井宏之に惹かれたのはあと一つ理由があるように思う。あとがきやらを読むまで全く知らなかったのだが、笹井宏之という歌人は26歳の時、ずっと患っていた病気によって亡くなってしまったらしい。亡くなるまでも病気の影響で寝たきりの生活がずっと続いていたらしい。歌を作っている時もほとんど寝たきりの不自由な生活だったみたいだ。

私は今、笹井宏之とは違う病気だが、ほぼ寝たきりに近い生活をしている。多分、笹井宏之が感じたような感情を私も同じように体験しているのではないか。「希望」に縋り付くのはそんな自分の状態もあるのかもしれない。
ただ、何よりも自分の希望になったのは寝たきりという絶望的な状態で、あんなに良い短歌が生まれたということだった。考えることが嫌になる日もあるし、自分に良い未来なんか来ないんだろうなと塞ぎ込むこともしょっちゅうだ。そんな生活の中で、笹井宏之があんな短歌を生んだことが自分にとってかなりのショック/希望だった。

私は『えーえんとくちから』から一番勇気をもらった人だと思う。自分の体が戻っても戻らなくとも、私は貰った恩をきちんと返し、そして生きて行きたいと思った。希望をくれてありがとう。この言葉たちを残してくれたから、私に今、届いています。

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