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インスタをやめた

 インスタをやめた。アプリを消すことは何回もあったが結局のところブラウザでログインして見てしまうのがオチなので、アカウントごと消した。そうしたら不思議と次の日からインスタへの興味は完全になくなった。
 インスタをやめる前は毎日のようにストーリーに投稿していたし、友だちの投稿もよく見た。しかしそれが自分自身のQOLを下げていることはわかっていた。
 インスタを開くと、東大生の投稿が必ず目に飛び込んでくる。それは自分が東大という場で普段過ごしているからだ。毎日どこかで外食したストーリーを上げる友だち、海外旅行の写真を投稿する友だち、恋人との写真を上げる友だち、アーティストのライブの様子を投稿する友だち……。みんな大切な友だちであることは間違いないが、彼ら/彼女らの投稿を見るとき、どうしても自分自身と比較してしまい苦しくなった。
 私はいわば下流階級出身である。親の年収順に東大生を上から並べれば、私は下位数%のところにいる。だから海外旅行に行くことはできないし、頻繁に国内旅行をすることもできないし、毎日おしゃれな店へ外食しに行くこともできない。奨学金はもらっている。使おうと思えば使うことはできるが、母子家庭ということもあって、母親か私のどちらかが倒れれば家族全体が崩れるので基本的には万が一のために使わないようにしている。だから貯金は実質バイト代とお小遣いのみだ。貯金が一万円を切ったときのみ奨学金の余った分を少し引き出している。
 これからも貧乏なのは変わらないだろう。院進を考えているので社会人としての収入が入るのはもっと先のことになる。社会人になったとしても、私が就こうと思っている職の平均年収は400万円ほどだ。
 上流階級は上流階級でありつづけ、下流階級は下流階級でありつづける。自分は何をどうどれだけ努力したところで絶対に報われず、下流階級から脱することはできない。そんな考えにずっと頭を支配されている。東大は上流階級の場だ。私の中での上流階級の基準は世帯年収1000万円以上だが、そのような家庭出身の人は東大内で半数を占めている。私は毎日上流階級の場に通い、下流階級の家へと帰っていく。家の中に居場所はない。母親は私のことを必要としておらず、むしろ邪魔者としか思っていない。私はつねに辺境を生きていると思う。上流階級中心の東大内で世帯年収の低さと家族仲の悪さという意味で辺境にいるし、下流階級の中で東大に通っているという意味で辺境にいる。つまりどちらにも完全に属することができていない。かつて感じた「自分がどこから来ていまどこにいるのかわからない感覚」は、つねに辺境に生きてきたことが原因なのだと思う。
 かといっていま不幸かといえばそんなことはない。客観的に見れば下流階級から東大に通えているだけでとても恵まれていて幸せだし、私は物理的な東大の内部、とりわけ本郷キャンパスではとても充実した生活を送っている。学内の年1万円強のジムに通い、図書館で勉強したり共用スペースでダラダラしたりする。それだけで一日は過ぎていくし、とても幸せなのだと思う。 
 最近はかなり努力もしている。一番勉強が忙しいと言われている3年前期に学科で出す学園祭の企画責任者をやっているし、バイトではリーダーをしている。ジムも行っているし、スキンケアも頑張っているし、少ないお金でなんとかいい服を買っておしゃれにも気を使っている。何兎も追っている。しかし、努力すればするほど、なぜか「自分は何をどうどれだけ努力したところで絶対に報われず、下流階級から脱することはできない」という考えが強くなっていく。上流階級と下流階級はピラミッドのような階層によって隔てられているのではなくて、単なる「壁」によって隔てられているのだと思う。その壁は乗り越えようと思っても、ぶち壊そうと思っても、近づけば離れていって触れることさえできない。上流階級と下流階級は「つねにすでにただ隔てられている」。
 いまとても幸せである事実から目を逸らすことはできない。社会人になれば母親は年老いていくから、自分のお金も介護費用として充てることになる。精神的に苦しんでいる人を救おうと思ったら、東大卒の平均年収からは辺境と言わざるを得ない職を目指すことになった。これは夢だから絶対に諦めたくない。しかし現実的に考えて、これからの人生でいま以上に幸せになることはできないだろう。だから、いまの日常に無数に転がっている幸福を取りこぼしたくないと思った。取りこぼしてしまったら、一生後悔することになると思った。私は幸せを感じやすい。ただ毎日キャンパスに行き、ジムに行き、図書館に行くだけで幸せを感じる。友だちとキャンパス内で過ごすとき幸せを感じる、そこに階級は見えないから。しかし、インスタの東大生の投稿を見るとき、そこには階級が可視化されていて、少なくともインスタの世界は自分にはそう見えてしまって、どうしても自分の生活が恵まれていないように思えてしまった。客観的にはとても恵まれていて幸せなのに。他の東大生が実際に本当に恵まれているかはインスタではわからないのに。何か大切なものを見落としそうになった。自分の人生の軸がぶれそうになった。
だから、インスタをやめた。


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