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★【酔筆素読#8】君は君らしく生きて行く自由 “は” あるんだ

タイトルは、欅坂46(現櫻坂46)のデビューシングル「サイレントマジョリティー」のサビの部分の歌詞から取りました。

この曲はYouTubeで公式が載せています。素敵な歌詞、カッコいいパフォーマンスですのでおすすめです。


ただし実際の歌詞は

君は君らしく 生きて行く自由“が”あるんだ

です。

大学時代しかり、あるいはTwitterで繋がっている人しかり、
自分らしく生きている人が多くて、なんとも羨ましい限りです。
大学生までは私も自分らしく生きていた自覚はありますし、就職した今でも、わりと自由にやっている気がしないでもありません。

ただ今現在、会社に違和感を覚え、転職しようかな?とか、塾講師に戻ろうかな?とか、フリーで生きて行く方法はないかな?とか、いろいろ考えていると、

「君は君らしく 生きて行く自由」は、あるにはあるけど、その一歩を踏み出すマインドが社会(細かく言えば、カネが生きていくのに絶対的に必要な資本主義社会)から自由になっていないということを強く感じてしまいます。

少し話はそれて…

2020年の自殺者数が、11年ぶりに増加したというニュースを見ました。

新型コロナウイルスが遠因となっているのかなという感じです。


芸能界でも、三浦春馬さんや竹内結子さんなど、自殺と思われる死の報道が相次いだなという印象を受けました。

私自身も、接客したお客様と「自殺」「死」というものについて少し話し合ったりなどしました。

またコロナとわりと近いところで仕事をし、Twitterの知り合いやお客様がコロナにかかったという話を聞き、
そして実際に今緊急事態宣言によって月収の十万の位が変わりそうな予感がしている中、自分にとっても「死」は身近な存在になりつつあります。

「死」とは、命の最後。よって自殺とは究極の選択。最悪の結末。







本当にそうなのでしょうか?
自殺とは、究極の手段なのでしょうか?







よく、「〇〇するくらいなら死んだ方がマシ」と軽々しく使う人がいますが(死ぬなんて簡単に言わないで!などと言いたいわけではありません)、
実際問題、死んだ方がマシなくらい、したくないこと、置かれたくない状況ってあるんだろうなと思いました。

例えば私にとっては、仕事をやめ、親のスネをかじるだけで生きていくというのは、死んだ方がマシなくらい、納得できない生き方です。
あるいは、性犯罪を犯して名前を報道され、刑務所に入って前科者になるというのも嫌です。

死ぬこと以外全て擦り傷という言い回しもありますが、
実際「死」というのは、「自分にとって嫌なことのワースト1」ではなく「下から数えた方が圧倒的に早いくらいものすごく嫌なこと」なんだろうなと思います。


話をサイレントマジョリティーに戻します。

サビで歌われる、「君は君らしく生きて行く自由があるんだ」というフレーズ、この歌詞が伝えたいことというのは


「君は君らしく生きて行く自由があるのだから、世間の目や柵(しがらみ)なんて気にしないで、その自由を本当に獲得できるように意識して行こう。啓蒙して行こう。そういう世の中になってほしい」



ということなのかなと思います。
それは裏を返せば、今の世の中はまだまだ「君は君らしく 生きて行く自由“は”あるんだ」という、副助詞としての「は」で取り立てて限定するしかない自由なのかなと感じた次第です。

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