アジアカップとその後のW杯の成績との関係性

 UAEで開催されているサッカーアジアカップで、森保監督率いる日本代表は無事、グループリーグを3連勝で突破しました。オフト監督の時代からずっとアジアカップのグループリーグは負け無しらしいので、この結果は当然のものとは言えますが、結果も内容も結構批判されていますね。個人的にはアジアカップで簡単に勝てると思う方がアジアを舐めているのではないかという気がしないでも無いですが。

 さてそんな大会中に水を差すような話しかも知れませんが、そもそも日本代表がアジアカップで優勝した後(2年後もしくは3年後)のW杯では成績が良くない、ということはあまりメディアには出ないですね。例外はトルシエ監督の時のみです。

 具体的に言うと、
92年(オフト)アジアカップ優勝→93年(オフト)W杯予選敗退
96年(加茂)アジアカップベスト8→98年(岡田)W杯初出場
00年(トルシエ)アジアカップ優勝→02年(トルシエ)W杯ベスト16
04年(ジーコ)アジアカップ優勝→06年(ジーコ)W杯GL敗退
07年(オシム)アジアカップ4位→10年(岡田)W杯ベスト16
11年(ザッケローニ)アジアカップ優勝→14年(ザッケローニ)W杯GL敗退
15年(アギーレ)アジアカップベスト8→18年(西野)W杯ベスト16
 という結果になっています。ここから分かる点は2つ、アジアカップ優勝後のW杯では良くない結果になっているのと、アジアカップで優勝できなかった後に監督が交代後、W杯では好成績を収めている、ということです。

 細かく見ていきましょう。

 オフト監督の時はあの「ドーハの悲劇」にてW杯初出場の夢が絶たれました。
 加茂監督の時は準々決勝でミラン・マチャラ率いるクウェートのカウンター・ロングボール戦術に惨敗しましたが、W杯予選中の監督交代後に岡田監督の下でW杯初出場を果たしました。
 トルシエ監督の時が例外になるのですが、アジアカップでは優勝(内容も伴っていました)し、自国開催のW杯では初のベスト16入りとなりました。
 ジーコ監督の時は大アウェーの雰囲気の中で優勝しましたが、続くドイツW杯では初戦のショッキングな逆転負けもありGL敗退でした。
 オシム監督の時から開催年の間隔が変わりましたが、三位決定戦でも負けて4位に終わりました。その後、病気のために監督交代となり、後を受けた岡田監督の下でベスト16に進みました。
 ザッケローニ監督の時には決勝Tは接戦続きでしたら優勝したものの、やはりW杯ではGL敗退でした。
 アギーレ監督はアジアカップベスト8に終わり、96年以来の低成績でした。八百長疑惑もあり解任となった後、ハリルホジッチ監督になりましたが直前で西野監督に代わり、W杯では三度ベスト16入りとなりました。

 アジアカップで優勝できなかった後、監督が替わった理由は三者三様(加茂→成績不振、オシム→病気、アギーレ→八百長疑惑)でしたが、その後に良い結果が待っているというのは皮肉と言っていいでしょう。
 そして、アジアカップで優勝すると、当然ながらW杯も期待されます。過去最強の日本代表ではないか、とも言われましたが、ジーコ・ザッケローニともに失敗しました。

 アジアカップは日本代表として重要な公式戦です。W杯ほどではありませんが、4年ごとの大きな目標でもあります。しかしアジアカップの成績がW杯の成績と比例していない、という大いなる皮肉あるいは矛盾に潜む理由や原因を、もうちょっと取り上げてもいいんじゃないでしょうかね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?