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不老不死時代における賠償金額の青天井化と死刑・終身刑の考え方

 あくまで思考実験的な。

 ユヴァル・ノア・ハラリ氏の「ホモ・デウス」に書かれているように、将来的に一部の人の寿命は飛躍的に伸びていくのかも知れません。病死や老衰による死亡の可能性が無くなる、いわゆる「不老不死」が実現した場合、社会にはとてつもなく大きな影響があるでしょう。もし、多くの人が病気で死ななくなったら、生命保険に入る人っているんでしょうか。

 逆に、傷害保険や入院保険は存在し続けるでしょう。不老不死になっても、例えば事故による外傷には弱いままでしょうから。

 言い換えると、不老不死の時代が来ると、事故・怪我による死を極端に恐れるようになります。怪我さえしなければ不老不死でいられるのですから当然ですね。そこまで医学・生命化学が進歩した時代であれば、命さえ残っていれば、大怪我しても移植や人工素材によって生きていくのに不便ではない身体を取り戻せるでしょう。怖いのは完全に死んでしまってどうしようも無くなることです。

 死んだら終わり、というのは今も昔も当たり前の話ではありますが、不老不死の時代であればそもそも死なない前提なのですから、事件事故による死が当たり前ではなくなります。その怪我さえなければ永遠に生きられたのに・・・というわけです。

 逆に加害者の立場で見てみましょう。事件や事故で他人を死なせてしまうと、本来死ななかったはずの人を死なせてしまったわけですから、賠償金額は無限大になるはずです。現代において、死亡させてしまった場合の賠償金額が有限なのは、その事件事故が無かったとしても、いずれは誰もが病気(あるいは老衰)で死ぬからです。平均的な寿命と、死亡時の年齢の間でれられるはずだった収入も賠償金額には加味されます。

 しかし、不老不死の時代においては、事件事故が起きなければ永久に生きていたはずなのだから、賠償金額には永久に得られていたはずの収入が加算されることで上限が無くなるはずです。加害者側も永遠の命があるのであれば、永遠に賠償し続けることになるのではないでしょうか。

 さらには、その事件事故を起こした加害者に対して刑事罰が与えられる場合、すなわち懲役が科される場合、これもとんでもないことになるのではないでしょうか?

 死刑に関しては現代でも賛否両論様々ですが、不老不死の時代において、国家や政府が囚人に対して死刑を執行することの是非はさらに論議を呼びそうです。囚人だって適切な対応を受ければ死なないはずだったのですから、その権利を国家が奪うことに対して反対は起きるでしょう。逆に、「死なない」のですから、終身刑の囚人が永遠に生き続けることの社会的コストに対しても様々な意見が出るはずです。

 突然明日からみんな不老不死になるわけではないですし、本当にそんな時代が訪れるのかどうかも分かりませんが、そういう時代が来たときには今とはことなる哲学・思想が支配的になっているんですかね。少なくとも現時点での考え方では対処できないでしょうから、少しずつ思想も進歩していくのだと思います。


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