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一枚岩は弱さの象徴である

 よく、「一枚岩」という言葉が組織や集団の結束の高さを表す言葉として用いられます。そういう言葉を使用する場面で本当に結束力が強いのかどうかはともかく、ある組織が完全に一つのみでの意志統一をしているのであれば、その組織は強いというよりも弱い(より正確にいうと「脆い」)と思っています。比喩ではなく本当の一枚岩は、一つヒビが入ると全体に裂け目が広がって崩れてしまいます。一方、例えばお城の石垣のように複数の石や岩で出来ているものや、お風呂場のタイル壁なんかを想像してみれば分かりますが、一つ壊れてもその箇所だけ交換すれば強度は維持できます。全体を交換・補修する必要はありません。これは比喩ではなく物理的な話しですが、組織や団体も似たようなものだと思います。小さい集団ならともかく、多数が所属するような大規模集団であれば、完全にまとまっているよりもある程度緊張関係にある方が組織は長続きするはずです。

 自民党の石破氏がしばしば安倍政権批判を行って、しばしば物議をかもしていますが、個人的にはこういった党内から起こる批判はむしろ自民党自体の強さ(時の政権の強さではありません)を示すものだと思っています。

 かつての自民党は、1950年代後半から1980年代にかけて壮絶な党内抗争がありました。いわゆる55年体制の下での鳩山一郎内閣の後、石橋湛山→岸信介→池田勇人→佐藤栄作→田中角栄→三木武夫→福田赳夫→大平正芳→鈴木善幸→中曽根康弘と政権が受け継がれていきましたが、そのほぼ全ての自民党総裁選において派閥の内外における合従連衡が行われました。総裁選のためだけではありませんが、金権政治と批判され、派閥の存在イコール腐敗の象徴のような扱いも受けていました。

 しかし、その一方で政権がいろいろな理由で立ち行かなくなり倒れた後、すぐに自民党内で別の政権を立てることが出来たのも、倒れた政権を構成していた派閥を批判していた別の派閥が存在していたからとも言えると思います。いわゆるシャドウキャビネットが別派閥に当たるということです(実際には閣僚まで決まっていたわけではありませんが)。社会党その他の野党では政権を担うほどの勢力が無かったからですが、自民党内で悪くいえばたらい回し、よく言えば保持し続けたのは派閥のおかげだったということです。さらにいうと、自派閥から抜けて社会党に入る議員などまずあり得ませんが、対立派閥に入る可能性はもちろんありますから、内閣からすると野党からの批判よりも自民党内の対立派閥からの攻撃の方が厳しい場面もあったはずです。

 派閥争いが激しく、「一枚岩」では無かったからこそ、自民党内で政権を維持し続けることが出来たのです。そんな55年体制も90年代前半に自民党内の対立が行き過ぎてしまい、新党さきがけ・新進党・日本新党など自民党を飛び出した議員達が野党を形成することによって終わりを迎えました。それから細川護熙→羽田孜と続いた連立政権が短命で終わった後に自・社・さきがけによる連立政権、ついで自・自・公連立、自・公・保連立、自公連立政権と続いて行きましたが、党内に対立者が存在しなくなった自民党が政権を失う、という形は2000年代にも繰り返されました。

 小泉内閣時代における、いわゆる郵政選挙と呼ばれた衆院選で小泉総裁が郵政民営化に反対した議員の選挙区に刺客を立てるという形で、強引に自民党内を粛正しました。そして小泉内閣以降の政権では、安倍晋三→福田康夫→麻生太郎と一年ごとに交代していったあげくに民主党に政権を奪われました。

 派閥抗争が激しかった時代とは異なり、対立者が党の外に出て行ってしまった自民党は政権を二度も失ったのです。これは決して偶然ではなく必然的なものです。内閣の寿命というのはそれぞれですが、いつか時代に合致せずに終焉を迎えます。その際に、時代や状況に合わせて方向修正することが出来るのは、前政権に批判的な実力者のみです。

 結局のところ、内部抗争が激しすぎて反対者が出て行ってしまっても組織は弱体化するし、内部抗争が起こらないほど上が下を締め付けすぎても弱体化します。政党だけではなく、大企業や国家レベルでも同じようなことが言えるのではないでしょうか。もちろん、危機的な状況で対立すべきではありませんし、また軍隊などでも内部対立イコール全滅ということから禁止が当たり前の場合もあるでしょうから、全てのケースで言えるわけではないと思いますが、「一枚岩」という言葉で組織的結束をアピールする場面に出くわすと、個人的にはものすごく胡散臭いというか、あんまり長続きしないんじゃないかな、という感想を持ってしまいます。組織内部の中心にいる人はいいでしょうが、中心から外れた周縁にいる人に取ってみたら、「一枚岩」をアピールされると結構微妙な気分になるんじゃないでしょうかね。大きい組織で完全に同質な集団というのは洗脳でもしていない限り無理ですし、そもそも洗脳する側とされる側がいるのであれば同室ではありませんし。「一枚岩」的な団結というのはどうしたって無理な概念だと思います。

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