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「〜〜ノミクス」はそろそろ止めませんか?

「アベノミクス」という言葉は、この9年で摩耗するくらい頻繁に使用されてきました。

もしかしたら本人も言っていたかも知れませんし、その言葉自体を本人も否定していないので、安倍政権やその経済政策に対する批評に利用するのは別に構わないと思いますが、先日発足した菅新政権に対する評で、「スガノミクス」云々かんぬんと言われることがあります。

「スガノミクス」という言葉については別に本人が言っていないでしょうし、この単語を安易に用いることで、正確な分析や批評の妨げになる可能性があるのではないでしょうか?

もともと「アベノミクス」も、80年代のレーガン大統領による経済政策「レーガノミクス」の真似です。人名+「エコノミクス」という造語です。

ネーミング、ラベリング、レッテル貼りなどいろいろ言えると思いますが、現代国家の複雑な経済とそれに応じた政策を一言で指摘してしまうのは、詳細な問題を見逃してしまうような気がしてなりません。フレーミングされているとも言えます。

「スガノミクス」と呼ばねばならない理由があるのでしょうか?

数十年経って歴史的な政権評価を行う上で、それまでの安倍政権のアベノミクスをほぼ継承していることが分かったのなら、「スガノミクス」と歴史用語として使用するのは適切だと思いますが、まだ始まってもいない菅政権の経済政策を「スガノミクス」とラベリングするのは不適切ではないでしょうか。

はっきり言うと、意図的に安倍政権のアベノミクスを継承するに「違いない」と決めつけて、政策批評を放棄している行動だと思います。

アベノミクスにしても、約9年続いた政権において、ずっと中身が同じだったわけでも無いでしょう。「アベノミクス」の中での変化についても論じるべきでしょうし、もっと言うと、「アベノミクス」のみで政権評価するわけにもいきません。政権そのものの方が概念としては「アベノミクス」より大きいはずです。

批評する側も、政権側も「アベノミクス」「〜〜ノミクス」にとらわれ、振り回されてきた9年間のように思えます。

アベノミクス崩壊とか終焉とか書くのも別にいいのですが、アベノミクス批判自体も終焉をとっくに迎えているのではないでしょうか。

春秋左氏伝襄公二十五年の条で孔子曰く「言は以て志を足し、文は以て言を足す」とあります。

言葉によって自分の意図が相手に伝わり、文辞(レトリック)によって言葉を助けるという意味です。正確かつ工夫を凝らした言葉を使うことで、ようやく相手に自分の思っていることがちゃんと伝わるのです。

他人から借りた概念と言葉をそのまま上滑りさせて使うことで、かえって自分が問題視している内容や論点がぼやけてしまい、結局読者や視聴者に真剣に受け止めてもらえないとしたら、それは表現する側の責任と言わざるを得ないでしょう。

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