父の日に思う、父は今の仕事が好きじゃない
今の機械設計の仕事は、長男が生まれた頃に前職の現場仕事が少なくなってきて、どうせなら危険が少ない技術職として選びました。
しかし、細かい情報を緻密に積み上げ、各方面と連携をとり、承認を求める毎日が全く性格にあわない。更に独立した事により、機械設計より嫌いな営業的な事のウェイトが増えてきました。
でも、今になって思えば好きというだけで選んだ仕事が人間関係で好きでなくなったり、体力の衰えで続けられなかったらどうなってたか?
食べていくためには理不尽と戦うのも仕方ないと思えたから今まで続けてこれたのではないかな?
まあ、それなら好きになる努力をしたら良いだけなんだけれど、結果として
私が好きになったのは内容ではなく戦うことになっていました。
そして、今やってる趣味の陶芸の中で、細かい工夫を繰り返す事自体は嫌いじゃないし集中できる。嫌いだったのは、責任を持つ事だったんだなと気づきました。
そこで思ったのは、好きだからと時間の許す限り陶芸教室に通って「そんなに経験あるなら、そろそろ他の人にも教えて、、、」なんて事になったら(思い上がりなので人には言ってませんが)ゾッとする。いつまで経っても勝手に試して、勝手に失敗して呆れられる存在でいたいのです(仕事ではなく趣味なので)
今は月二回のペースにしています。
そうして色んな事に耐えて乗り越えて考えて試してきた経験から
「頑張って」が必要な人も居るし、それが辛い人もいる。
「無理しないで」を求める場面もあれば、それで崩れてしまう時もある。
大事なのは、どんなスタイルが自分にあってるかを考えて試す余裕であり、それに一緒になって考えて付き合ってくれる人なんじゃないかな?
なので、今は家庭でも職場でも、アドバイスしたきりというのはやめて、状況の変化を聞きながら、一緒に考えて試していくというように、できるだけしています。
「アレは、どうなった?」
写真は長男夫婦が送ってきた物です。
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