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必要以上に厳しい「自分の中の他者」を優しくして、もっと気楽に自分の悪いところや失敗も含めて表現したい。

二月はあまり投稿できなかったので、その理由を考えました。すると「自分の中の他者」が必要以上に厳しいのが原因じゃないかと思いました。


自分はエッセイでも小説でも短歌でも、どういう内容にしたいかというアイデアの部分では苦しまない人間なんですよね。

実際に書き始めても、完成から考えて60%~70%くらいまでならザーッと勢いよく作業を進められる場合が多いです。

しかし僕は、最後の仕上げという工程に多くの時間を要します。画竜点睛を欠くとも言いますし、大事だと考えています。


それにしても、時間がかかりすぎている。費用対効果も悪い。

理由を考えてみたところ、仕上げという工程ではより強く「他人からはどう見えるか、十分に伝わっているか」という他者の視点で確認していると気づきました。

そして、自分にとっての他者が必要以上に厳しい存在であり、あまり有効でないチェックをしすぎていると気づきました。

ゆえに時間がかかっていたし、その時間は他の工程に比べて楽しくないし、疲れがたまっていた。


ずっと自分の中の一般的な他者のイメージは、「あら探しを好み、感情的で怒りっぽく、寛容でなく、頑固で伝統的なやり方にこだわる」というものだった。(ひどい)

そんな他者のイメージが形成されたのは、誕生から始まる人生の最初の二十年間くらいは、そういう人達の影響を強く受けながら生きざるを得ない状況に置かれていたからだと思う。

(僕の個人史についてはまた改めてnote上にまとめたいと考えていますが、今は「自分自身の話を書くエッセイ集(仮)」というマガジンをさかのぼると大体読めます)


もちろん実際にそういうひどい人物はいるけど、もう今はそんな人達の相手をまともにするつもりはないし、もっと理知的でやさしい人もいると知っている。

ただ約二十年かけて作られたものを、一日で正反対のものに作り替えるというわけにはいかない。人間はそれが出来るようにはできてないはず。

時間を必要とするとしても意識しているのは大切だと思うし、少しずつでも自分の中の他者をより優しく寛容な存在にしていきたいと思っている。


そして、近いうちに小説を投稿します

自分のツイッターより。

乞うご期待。

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Haruki-UC
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