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朝比奈あすか 『自画像』 <泥沼と秋鯖 #2>

唐突に自分語りから始まってしまい申し訳ないが、大学で国文学を専攻させてもらっている身でありながら、今いちばん「おもしろい!」と感じる授業は教職課程で履修している心理学であったりする。
というのも、第二次性徴という身体的変化を伴って変化する思春期特有の心理だったり、幼児期の愛着形成によって左右される発達心理だったり……自分が「コンプレックス」や「心の不均衡」をテーマにした文章を書くことが多いため、こういった心理学の学びが非常に役立つし私自身の興味をさらに増長させるのだ。

さて、今回読んだ『自画像』という作品の大きなテーマは先述した青年心理にも関連する「美醜」である。あの子は綺麗、あの子は醜い……これは、他人からの評価を気にするようになる思春期の少年少女たちにはあまりにも大きな枷となる。そしてそれは、人生を動かす歯車になっていく。
以下、一応あらすじを引用する。

男子が作った女子ランキング。あの娘よりも、私は上だった———。美醜のジャッジに心を弄られ、自意識が衝突しあう教室。そこではある少女に対し、卑劣な方法で「魂の殺人」がなされていた。のちに運命を共にしたかつての少女たちは、ひそかに自分たちの「裁き」を実行してゆく。その先に、果たして出口はあるのか。
                    ______『自画像』双葉文庫より

「一応」と表したのは、読後、「ここを抜くか〜」という感想を抱くようなあらすじであるからだ。この作品の内容ならばもっと面白いあらすじもあったように思えるのだ……。

ともかく作品内容に触れていく。ネタバレ注意。
容姿にコンプレックスを抱いて中高時代を過ごした田畠清子。彼女は婚約者に、今まで彼女が辿ってきた過去のことを語る。彼女自身のことや、スクールカースト最底辺の蓼沼陽子のこと、そして中学入学前に整形をした一軍女子・松崎琴美のこと。そして、彼女たちに起こったスクールカーストにまつわる事件や、担任教師の性犯罪のことなど……婚約者は清子の話にほとんど無関心なように見えるが、それでも熱心に清子は語り続ける。何かを明かすかのように。
清子の語りの中で、婚約者が反応を示す箇所がある。例えば「中学校時代の担任教諭が犯した事件とその顛末」について。それもそうだろう、彼がここまで食いつくのには意味がある。何を隠そう、彼自身が教師という立場でありながら少女たちを食い物にする性犯罪者なのだ。そして彼は物語が進む間、進行形で清子に薬を盛られて朦朧としていく。
そして清子は種明かしをする。彼女は蓼沼陽子と松崎琴美と共に、性犯罪を犯す男たちを「裁く」行いをしていると。
その後、物語は蓼沼陽子と松崎琴美の視点に切り替わり、彼女たち目線で中高時代の出来事をさらっていく展開になる。
物語の終盤では、清子の婚約者に手を下してから数年後の現在に時間軸が追いつき、そして大人になった少女たちはある決断を受け入れて、結末を迎える。

文体としては独白の形で書かれているため、個人的に最初は読みづらかったが、段々とペースを掴んで読めるようになった。淡々とした独白の不気味さが、作品の雰囲気とうまくマッチしてくる。
登場人物の心情と読者自身をリンクさせやすいのも独白の良い点だろう。私も思春期の清子のドロドロとした思考にかなり共感を覚えた。

ただ、「上手いな」と思うと同時に、惜しくも思えた。
田畠清子の独白部分は面白かったし、蓼沼陽子の独白もよかった。松崎琴美の前半部分もよく書かれていた。だが、時間軸が「現在」に追いついてしまった途端に面白くなくなってしまったのだ。そこがオチなのだから尚更タチが悪い。ここはどうにか他の書きようがあったような気もするが……。
結局少女たちが奔走しまくった思春期青年期がいちばん面白くて、成熟した大人になってしまったらつまらなくなる。
「大人になった途端につまらないな!」と読者に感じさせるところまで考えて、そういうメッセージを込めて、敢えてオチを軽く書いていたのだとしたら作者を絶賛したいが……真相やいかに。

また、ここで少しだけアカデミック(?)な話をしようと思う。
この作品を読んだ時に目につく「面皰」というモチーフ。嫌というほど出てきて、田畠清子と蓼沼陽子を歪ませ、そして引き合わせるものとなる。
……芥川のオマージュか?と直感的に思った。そう、『羅生門』の下人にまとわりつくモチーフのひとつが「面皰」なのだ。
『羅生門』における面皰は若さの象徴とされている。下人はぼんやりしながら面皰をいじるなどするが、老婆の服を剥ぎ取るところで面皰から手を離す。楽観的な若さから脱して、強くてエゴまみれの大人へと変化していくという場面だと私は捉えている。
そして、『自画像』に出てくる面皰--特に田畠清子の面皰--も若さの象徴ではないかと考えた。
実際に田畠清子は、若さゆえに無謀な言動に走ったり、容姿コンプレックスにもがきながらもどこか楽観的に見える。変な正義感で蓼沼陽子に中途半端に手を差し伸べようとするのも、面皰だらけだった頃の清子だった。
それが大学生になってクリニックで治療をし面皰を綺麗にしていくと、清子は大人らしく強かになる。陽子と琴美に加担する際も、最初は興味本位と罪滅ぼしの混在した感情であったが、腹を括ったようにしっかりと二人の手をとった。そして最終的に琴美を過去から解放する、という場面では学生時代とはすっかり別人のように大人の判断ができるようになった清子が描かれている。若さを象徴する面皰。面皰から手を離した清子は、『羅生門』の下人同様に、良くも悪くも「大人」へと成長する様子が描かれているように感じられた。

色々と思うままに書きつけてしまったが、こんな好き嫌いや考察は個人の感想に過ぎない。
是非一度、読んでほしい。容姿コンプレックスがある/あったのならば、美醜に取り憑かれた少女たちの心情に、尚更入り込めて面白いと感じるだろう。

この作品を貸してくれた人に感謝を込めて。

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