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具体と抽象のあいだ

マイブームは、あらゆる事象の抽象度を測ること。
想定している抽象度が食い違うと会話がズレて、所謂認識の齟齬というやつが発生する。数年前にこの事実に気付き、事あるごとに気にしている。

日常生活においても、

「抽象的過ぎて理解しにくい、具体的に説明を!」
「具体的過ぎて瑣末な事にかまけている、もっと抽象的に認識すべき」

みたいなやり取りがたまに発生する。たまに。

抽象度の高いレシピ、具体的な言葉で綴られる格言、抽象的な時刻表、多分どれも違和感がある。
具体的な記述はプログラミングのようにそのまま指示となって行動に繋がる。一方で、抽象度が高いものは解釈が必要になる。

例え話は、抽象度の高いvlookup

Excelの機能でよく使われるvlookup関数は、検索値と検索範囲を指定すれば、一致する行を参照できる優れもの。(最近ではxlookupなるものもあるらしい。使った事はないけれど)

一方で、抽象度が高い概念は、その抽象度の高さを保ったまま別の概念を参照できる。という利点がある。とても応用が効く。

この二つの武器を組み合わせると、抽象度を上げて物事を考えることで、概念をvlookupできるということではないか。

一つの値を目印にして参照(点と点の比較)すると、直接的な事象しか参照出来ない。
一段抽象度を上げる事で、少し遠い概念を参照できるようになる。
概念同士(点ではなく形のある物同士)、比較が可能。

抽象度を上げれば上げるほど、そのカバー範囲は広がる。算数から数学になる時の代数も、抽象度を上げてカバー範囲を広げるための一つだと思う。ある意味で、物事に名前を付けたり、分類名を付けることも抽象化。

抽象度をあげるということ

一つ一つの事象から抽象度の高いメッセージを導く事は、本質を捉えるという事に等しい。世の中に沢山ある物理法則は、観測や実験という具体的事象を繰り返して、一般化した式にまとめ上げられたもの。
目の前の事を一つ一つこなして、振り返ったときに残るもの、とも言える。

何がその構造を特徴付けるか、を一言で言うのは難しい(他人から、「貴方は一言で言うと◯◯」と断定されても良い気はしない)。その人をその人たらしめるものが何か、という問題に似ている。顔、身長、出身、性格、思想‥?

因みに、高次元の特徴量をベクトル化する事で、近さを計算することもできる。これは、機械学習の考え方も近いんじゃないかなと思っている。
自然言語処理などの技術でも、辞書を使って単語をベクトル化して、単語同士の類似度などを算出できる。

時々生じるデジャヴも、実際には違っていても構造的に似ている事象に再び出会う事で、既に全く事象を経験済みだと錯覚してしまうのかな、と思ったり。過去に体験したことを自動的に抽象化(圧縮?)して記憶に保存していたりして。

今日の一枚

ある日のカフェで、テラス席から見上げた空

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