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「すき」と向上心

懐かしい通学路の写真をみていていろんなことを思い出した。夏休みの部活帰りの夕焼けがすごくきれいだったこと。深草でアイスを買って食べて帰ったこと。丹波橋で特急に乗り換えて、たいてい枚方か樟葉でみんな降りてしまったから、1人で終点までのってたこと。校舎の入り口にあった階段とか、新館とか中庭とかいろいろ。今更だけど、通ってた学校がなくなった(移転した)のはやっぱりすごくさみしい。

学校のことを考えていると、ついでに昔考えていたことを思い出した。
向上心をもたなくなればひとは楽に生きれるんだろうなと思う。すきなことをただすきというだけで続けられれば、結果を望まなければ、あるいは自分の立ち位置を割り切ることができれば。
最終的に立ち位置を自分で見極めて納得することが、すきなことをすきだけで続けるには1番いいんだろう。
本当にすきなことはいつまでも辞められない。辞めてもまた戻ってしまう。すきだからだ。「すき」はつよい。それだけで何でもできてしまう。「すき」というだけで物事をがんばってるひとには、誰も勝てないと思う。

というのは理想で、実際にはそんなことなかったりする。
そう、そんなことはないのだ。
偶然や運や持ち前の才能で「すき」を超えていく人はたくさんいる。

昔の自分の思考といまの自分の思考が混在しているので、わたしの言っていることは矛盾している。

現実は矛盾していることだらけだ。

それでも、どうしてもやめられない、だいすきなこと。そういうものを大切にして生きていきたいとわたしは思う。

続けることで報われるとは限らないけど、続けなければ何も始まらないから。
何より、やめられないから。すきって、そういうことだから。

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