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対話なき「非接触」の罪

経産省が約3800社の上場企業にテレワークの実施状況を開示するサイトを立ち上げるのだとか。「なんちゅーことを」と驚いたが、案の定経済界からも懐疑的な意見が挙がった。まず、開示のためのとりまとめ作業が大変そうだし業種によって事情は異なる。「数」? 「%」? 成果が大切だと思うんですけど。知り合いの人事担当者は緊急事態宣言のせいでリモートワークが続いている。彼いわく「朝、今日は何をしようかまず考えるんだよね。一日、何もせず夕方になっちゃうときの空しさってないよ。だらだらしないように資料を読むとか、エクセルつくるとか。何とか目標立ててやってるわ」とのこと。リモートがめざす生産性ってどんなことなんだろう。通勤がない分、時間的・体力的にはプラスになる。けれども一日が終わり「今日はよくやったなぁ!」と実感することは少なくなった気がする。私の場合、その理由のひとつは「やること」はこなしても「やるべきこと」が片付いた気がしないから。原因はテレワークで人との対話が激減したことだ。もちろんオンラインやグループウェアのチャットを使えば、やりとり自体に支障はない。でも、一歩踏み出せたり、大きな進展があったりするのは大抵、向かい合っての「対話」を通してだ。対話は会話とも議論とも違う。共感しながら互いの意見を深掘りしながら自分を見つめることだ。そりゃ画面越しでも1対1なら成り立つかもしれないけど人数が増えるとなかなか難しい。誰かが話している間はミュートにして聴く、そして次の人が発言する(しかもその間相手と自分の顔をみつめる)といった感じ。リモート推奨はよし。でも本質的な生産性向上があってこそだ。対話なき非接触は、コロナ2年目にして、じわじわと組織をむしばんでいる気がする。

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