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DAY4.  岡山の白桃

 今日、「胎嚢」という赤ちゃんを包む袋のようなものが子宮の中に見えたら、私たち夫婦の希望は、また少しだけ前進することになる。

 着床を確認してから10日、運命の分かれ道になるかもしれない検診日。

 この7年間で一度も経験できなかった、正確に言うと血液検査の数値的に「かすりはしたかも」のときが1回だけあったのだけれど、しっかり受精卵が子宮に着床したと「妊娠」の陽性判定がもらえたのは初めてのことだった。ただ、その数値は手放しに喜べるほど良いものではないらしい。

 クリニックの医師が言うには、この妊娠がこのまま継続して赤ちゃんの顔を見ることができる確率は、33.3%なのだそうだ。「たった33.3%」なのか、「3分の1も可能性がある」ということなのか、まだよくわからない。

 わかっていることは、42歳にもなると、そうそう簡単には赤ちゃんに出会えないのだということ。

 知らず知らずのうちに踏み込んでいたこの茨の道。私だって「20代のうちに結婚して、30歳くらいで子どもを……」とか、本気で思っていたのだ。


 10日ぶりにクリニックに向かう車の中で、夫がめずらしく真面目な顔をして言った。

「それが良かったんじゃないの? 自分たちがちゃんと受け止めるためにも」

 当たり前と言えば当たり前なのかもしれないが、この7年間の不妊治療は、タイミングを合わせて自然妊娠を目指すところから、人工授精に進み、体外受精に進み、その中でも、顕微授精だったり、黄体ホルモンを補充する薬を使ったりと、だんだん医療的な介在をステップアップさせてきた。

 でも、思わないではない。もしかしたら、もっと早くから今のレベルの処置をしてもらっていたら、少しでも若いうちに良い結果が出ていたのではないか、とか。

 もちろん金銭的にもどんどん高額になっていくわけで、体への負担も大きくなるものだから、そういうことじゃないというのもわかるのだけど、どこかモヤる。それを愚痴レベルで夫に投げかけたのだった。

「もしもこの先、産まれる子どもに何か障がいがあったとしてさ」

 夫は続けた。

「最初から今の治療をしてたら、『あれがいけなかったのかも』って、思っちゃうかもしれないじゃん。そうじゃないってわかってても、やっぱりね」 

 確かに、そういうことはあるかもしれない。

「でも、これまでひとつずつ、できるところからやってきて、今があるわけだから。いろいろな可能性を試してきて、今は今できる最大限のことをしてる。だからこそ、何が起きたとしても、それを受け止めることができるんじゃないかな。本当に受け止め切れるのかは、実際にそうなってみなきゃわからないけどさ」

 そんな話をされて、ふと着床の判定日前夜のことを思い出した。

 最近、夜寝る前にあまりスマホを見ないようにと、読んでいなかった文庫本などを引っ張り出して枕元に置いている。その日はたまたま、ある短編集からパラパラと1話を選んで読み出したのだった。

 普通の夫婦の話かと思って読み始めたら、開始早々、妊娠が判明したという流れになって、「しまった」と思った。こんな判定日の前日に読むものじゃなかった、と。でも、そこで読むのをやめるのも、なんだか縁起が悪い。

 仕方なく恐る恐る読み進めていくと、つるつると読ませるさすがの筆力で、いつの間にか引き込まれていた。

 と、思わぬ展開になっていく。なんと、その夫婦の世界線では3年後に地球が滅亡するというのだ。

 小惑星の衝突が避けられないことがわかり、皆そこへ向けて死を覚悟しながら生きている世界。そこで「産むべきか産まざるべきか」の話になっていく。

 まさかの展開に、「なんつーものを読み始めてしまったのか!」と思ったけれど、後の祭りだった。あっという間に1話を読み終え、ただでさえ胸が高鳴る夜に輪をかけて、なんともいえない高揚感の中で眠りについたのだった。

 子どもを持つということ、欲しいと願うことには、たぶん、どの夫婦にもそれぞれの覚悟がある。たとえそれが予期せぬ妊娠、だったとしても。産むという決断にはやっぱり、けっこうな覚悟がいるのだ。

 欲しいと願うことそれ自体に、覚悟がいることもある。特に、私たちのような晩婚組には。夫と私は同い年の42歳。もしも順調に来年子どもが生まれたとして、その子が20歳になる頃にはもう63歳になっている。

 私たちに、その覚悟はあるだろうか? 

 今、ますます混沌として先が見えなくなっている、この世界の只中で。


 感染力が強いうえに重症化もしやすそうだと言われるインド由来の「デルタ株」など、新型コロナの変異ウイルスが次々に登場して、新規感染者数も増え続けている。このパンデミックの中で、本当にやるのかと思っていた東京オリンピックが、とうとう始まった。

 最終的には直前に無観客開催が決まったものの、7月23日金曜日の開会式では、会場となった千駄ヶ谷の新国立競技場周辺に、見物する人やらオリンピック反対デモの人やらがごった返す事態になっている。

 しかし大会開始早々から、日本のメダルラッシュが続いた。オリンピックを開催することの危険をあれだけ煽っていたテレビも、今やオリンピック一色だ。

 わが家でも、この土日は朝からずっとテレビでオリンピック観戦だった。夫がせわしなくチャンネルを変えて何かしらの競技を観るのを、私もルールなどよくわかっていないまま、なんとなく隣で眺める。

 そしてときどき目に入ってくるプレーの力強さに「おお!」と声をもらし、およそ人間業とは思えないダイナミックな演技に固唾をのんだ。気づけば子宮にぐうっと力が入っていて、少しだけ心配したりする。

 私はもともと人がやるスポーツを観ることにはあまり関心がなく、前回のオリンピックにも興味を示さず、夫に煙たがられたものだが。今年ばかりはいつの間にかお祭り気分で、どこか浮き足立っている。人間そんなものだ。


 内診室に呼ばれた。血液検査をするための採血をしてから、30~40分ほど経っている。

 これは、もしかすると、もしかするのかもしれない。血液検査で確実に希望が終了していたら、内診室には呼ばれないのかも――。

 すべては初めてのことすぎて、なんの根拠もない、淡い期待ばかりが広がった。ひとまず落ち着け、と唾をのみ込み、内診室に入る。

 これまで数えきれないほど経験しているが、いまだにこの内診には慣れない。

 台の上で、これ以上ないほど無防備に脚を開き、膣の中にぐうっと冷たい器具を突き入れられる。下腹の奥のほうをぐりぐりされるのを、息を押し殺して我慢する時間。

 単純に痛いのともちょっと違う、自分の内臓に何か得体のしれないものを突き付けられている、なんともいえない恐怖感。

 ときどき、仕切られたカーテン越しに医師から話しかけられたりして、そのままの状態で答えなければならないのも、なかなか酷だ。

 その慣れない時間が、今日は思わぬ長丁場となるのだった。

「うーん……」 

 カーテンの向こう側から聞こえてくる若そうな女性医師の声に耳を傾ける。いつものようにぐりぐりとされるのを我慢しながら。しばしの間、沈黙が流れた。

 右側に映し出されている画面をのぞいてみる。そこには黒々とした空間があるばかりで、子宮の中には何も映っていないように見えた。

「ちょっと、お腹を押しますね。痛かったら言ってくださいねー」

 そう言って彼女は、私のお腹を手で押しながら、器具の角度をいろいろと変えていく。何かをもにょもにょと口走っているが、どうやら独り言のようだ。

 ふと、ぽつりとした小さなものが映ったような気がした。しかしそこがクローズアップされることはなく、隅々まで探しているといった様相が続く。

 胎嚢がみえない、というやつだろうか。私は少し血の気が引くような気持ちになりながら、彼女の次の言葉を待つしかなかった。

「ちょっと、先生。いいですか……」

 どうやら誰かほかの医師に声をかけたらしい。

「ああ、うーん……そうね、うん」

 少し年上の男性医師らしき声もしてきた。

「ちょっとふたりの目で、しっかり確認しますからねぇー」

 女性医師のほうに声をかけられて、「はい……」と返事をする。こんなことは初めてだった。判断がつきにくいのか、彼女が新人さんだったりするのか、いろんな想像が頭の中をぐるぐるとまわった。

 しばらく「うーん」「うーん」と、ふたりがごにょごにょと話し合った末に。

「あとで診察室で詳しくお話ししますからね。終わりますー」

 内診が終わり、その「お話」を聞くまでまた数十分、待合フロアでいたずらに時間を過ごすことになる。

 診察室で初めて顔をつき合わせた今日の担当医師は、声から想像した以上に若くて可愛らしい、アイドルみたいな顔をしていた。

 この間の早口の先生とは対照的に、キラキラした瞳で、まるで園児に語りかけるような優しさで話をする。わからない部分も、こちらが聞いただけ丁寧な説明が返ってきた。

 要約すると、こうだ。血液検査の数値的にはかなり上がってきてはいるが、確信できるほどではない。

 本来はもう1センチほどの胎嚢が見えてもおかしくないが、今のところそれらしきものは3ミリほどのものがあるだけで、それも確信が持てない。

 このまま胎嚢が育ってくるか。もしくは、この3ミリのものは胎嚢ではなく、子宮外妊娠をしている可能性もゼロではない。

 本来着床する場所ではないところに着床してしまう「子宮外妊娠」は、発見が遅れるととても危険なものだ。卵管などに着床してしまった場合、そのまま放っておくと卵管が破裂して出血を伴い、ひどいと命の危険にもさらされる。

 しかし、いずれにしろもう少し経過観察をしないと、今の段階では判断できない。

 結果はまた3日先に持ち越されたのだった。オリンピックもまだまだ序盤だが、私たちの戦いもまだ終わりが見えない。


 ちょうどその日の夕方。半年以上前にギフトカタログで注文した桃が届いた。

 生まれて初めて拝む、岡山の白桃。繊細な産毛に包まれた白肌は、とがったお尻のほうが少しだけピンクがかっていた。そこから、品のいい透き通った香りが鼻をかすめる。

 桃は昔から大好物なのだが、関東生まれだからか、山梨産しか食べたことがなかった。今目の前にしているこの桃こそが、まさに桃太郎が入っていただろう色形という気がする。

「食べる1~2時間前に氷水で冷やしてください、だって」

 少し面倒だなと思いつつ。冷凍庫にたまっていた保冷剤をボウルにたくさん入れて水を張り、桃をひとつ浮かべた。

 オリンピックのバレーボールやら競泳やらを眺めながら、あり合わせのおかずで夕食をとった。少し時間をおいて、ふたりでじっくりと桃をいただく。

 「美味しいね」と言い合ったあとに、「うん、でも、もうちょっと追熟させたほうがいいか?」「そうだね」と言いあい、残り2つの桃をもとの桐箱にそっと収める。

 そういえば、桃は子宝の象徴らしい。この桃がもう少し熟れた頃、次の検診だ。

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