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DAY24.  終わりのはじまり


 夢を見た。

 夢の中で夫は、息子である私の父であった。彼は途方にくれている。いましがた妻を亡くして。

 父と息子のふたりきりで、夕食の食卓につく。さて食べ始めようかというところで、父がつぶやいた。

「ほんと、好きだよねぇ。オクラ」

「え?」

 僕の声などまるで聞こえない様子で、父はひとり意味深に微笑む。その手には、オクラの入った味噌汁の碗が収まっていた。そこで僕は唐突に思い出す。野菜嫌いの父に母は何かと野菜を足して、特にオクラはその代表格だったことを。

 僕の姿が映らない父の瞳を見つめて、茫然とする。そして、まだ何か言いたげにしている父を無言で抱きすくめた。

「オキシトシン、ね」

 そう言って父はまた笑うのだ。「オキシトシン、オキシトシン」とまじないのように言いながら、ときどき母は父をハグした。人はハグをすると脳内で幸せホルモンが分泌されるらしい。

 そのホルモンの呼び名の響きが、父の名前に「神」をつけたように聞こえると言って、「崇めたまえ~」とふざける父。そんな光景が、父の瞳には映っている。

 胸の奥がぎゅうっとなり、嗚咽しそうになって目が覚めた。6時28分、寝室には静かに陽が入り始めている。いつもの朝。

 寝返りをうって、隣でいびきをかく夫にそっと身を寄せた。深く息を吸い込んで、少し湿った鼻で夫の匂いを確かめる。

 彼は確かにそこにいた。当たり前だけど。当たり前じゃなく。私はこの人のためにも、ちゃんと生きていかなきゃいけないのだ。

   *

 この間ひとつだけPGT-Aに出せた最低グレードの胚盤胞は、私たちの予想を覆すことなく「Cランク」の判定。移植不適胚だった。

 そしてPGT-A採卵4度目の挑戦は、これまで18回採卵をしてきた中では最高記録、4つの卵が採れた。しかし1つは受精能力のない変性卵、2つはまだ成長しきっていない未熟卵で、1つだけが成熟卵。それでも生理14日目での採卵は、成長速度としては順調に思えた。

 採卵後、安静時間のベッドから「すごいじゃん」「快挙!」と夫婦でよろこびのLINEを送りあった1週間後。すべての卵は目標の胚盤胞まで育つことなくその成長を止めてしまったことが、メールで静かに通知された。

 夫が仕事でいない日曜にひとりで開いた「培養中止」の知らせを、そのままスクショして夫へLINEする。

《んー。残念だね》

 すぐに返ってきた夫の返信に何とも言えない気持ちになって、私は少し意地の悪い言葉を返した。

〈ここまでダメだとあきらめもつくね。次はもう移植して、終わりかな〉

《今回は、どれかはいけると思ったんだけどな》

 夫からぽつりと返信がきて、「うん、そうだよね。私もそう思ってた」と心の中で独り言ちる。夫から続けてまたLINEがきた。

《凍結までいけたあの子に期待しよう》

 今、たったひとつだけある、PGT-Aを始める前に凍結した未検査の胚盤胞。夫がその卵を「あの子」と呼ぶのに、なんだかぐっときてしまった。

 〈そうだね〉とだけ返したら、思わず涙が込み上げてきた。小首を傾げてこちらを見やる犬と目が合う。まだ散歩の途中だった。またここから30分ほど、いつもの道を歩いて帰らなければならない。

 今日も川はさらさらと、とどまることなく流れている。そして今年も秋が来た。そこで流れている水は刻々と入れ替わっているし、去年と同じようでまったく違う秋だけれど。

 夫はこの秋44歳になった。早生まれの私も、もうすぐ追いつく。

 川岸に並ぶ木々は、深緑の葉も残しつつ、いつの間にか山吹色や朱色に染まってきていた。春、桜が散り始めるころの淡いピンク色から浅緑色へと変わっていくグラデーションも好きだけれど、秋がだんだんと深まっていくこの感じも、なにか沁み入るものがある。

 移ろう季節。私たち夫婦の心も今、だんだんと移ろってきている。この8年、しっかり真正面から見据えることができなかった、不妊治療の終わりに向けて。

   *

「はい。どっちがいい?」

 野菜室から取り出した2つの早生みかんを、夫の前にずいと差し出す。

「うーん……」

 腕組みをしながら、2つの実をいろんな角度からまじまじと眺めて思案する夫。その真剣さに笑ってしまう。

「こっちだ!」

 夫は勢いよくそう言って、キュッと実がひきしまった小ぶりなほうのみかんを取り上げた。

「へえ、そうくるか。賭けに出たね……」

 私はニヤニヤしながら大きいほうをむき始める。夫も自分のみかんをむいて、きれいに筋をとったところで、ひと房をぱくりと頬張った。

「お、甘い!!」

 うれしそうにしている夫の横で、私も自分のみかんをひと房、口の中へ放り込む。甘酸っぱい果汁が爽やかに舌の上へ広がった。

「んー。どうかなぁー?」

 そう言って私はひと房を取り分けて夫へ。夫からもひと房もらって、さっそく試食してみる。

「んー……」

 私がまだ味わっているところで、夫がガッツポーズをした。

「それ、すっぱぁ。俺の勝ちー!」

「うーん、確かに……」

 本日の甘いみかん勝負は夫の勝ち。でも私は酸っぱいみかんも好きだから、勝っても交換してあげたいのだけれど、そういうことではないらしい。夫はこの勝負に負けたときも「交換してあげようか」を断固拒否して、酸っぱい酸っぱい言いながら食べている。

 夫は恐らく酸っぱいものがあまり好きではなく、辛いものも苦手なのだけれど、「辛いの好きだし!」と言ってきかない。何かと新作の辛口ハンバーガーなどを注文しては、「これ、かっらぁ!」といつも失敗しているのだった。

 今日はおいしそうにみかんを食べている夫を眺めながら、私も甘酸っぱいみかんをしみじみと味わう。夕食後のちょっとした果物は、締めのラーメン並みに脳を満たしてくれるものがあると、最近よく思う。

 ずいぶんと健康志向になったものだ。不妊治療をしていなければ、きっと食生活にここまで気をつけることもなかっただろう。ある意味、寿命は延びたのかもしれない。

「移植、しようか」

 いろいろ、いろいろ、話しあった結果。私たちの結論が出ようとしていた。

 2度にわたって陽性になってしまった子宮内膜炎もようやく抗生剤が効いて陰性となり、移植の準備は整ってしまっている。クリニックからは、残している未検査胚をPGT-Aに出すという選択肢も提示された。

 そこには、一度凍結しておいたものを融解、再凍結して、さらにPGT-Aの検査をするためのバイオプシー、一部の細胞をむしり取る過程のリスクがわずかながら伴う。

 そして、もしそれが移植不適胚の判定を受ければ。この先何度採卵しても結局はPGT-Aの正常胚を得ることなく、最後の移植すらできずに治療の終わりを迎えることになるかも知れない。その結末は想像するだけで苦しくなるものがあった。

「そうだね……」

 人間の脳というのは、日々のささいな選択の連続に少しずつ疲弊していくものだという。

 動物ならほとんどは生存本能にのっとったシンプルな選択をするだけなのに、社会的な理性を身につけ自由を手にした人間たちは、「今日は何を着よう?」「昼ごはんは何食べよう?」などと、いちいちこまごまと選択を迫られている。

 ふり返れば不妊治療は、その中でも難解な選択の連続だった。すべての治療は100%ではなく、それどころか、たった数%確率が上がるかもしれないだけの治療や検査に、何万もの大枚をはたく選択をする。

 それが成功に終われば報われるものの、少なくとも私たちは、何度も失敗をくり返すのが常だった。失敗は成功のもとらしいが、これだけ失敗が重なると、成功を夢見る力すらすり減ってくる。

 平和にみかんの選びっこくらいで終わる人生だったら、どれだけ楽だったかと思うけれど。それでなくても人生は、この先まだまだ長いのだ。そこに子どもがいても、いなくても、また否応なくつらい選択を迫られるときは恐らく来るだろう。人間である限り。

 くだんの慢性子宮内膜炎の生検検査も、ある論文によれば見つけて治すことに意味があるとされ、また違う論文ではほとんど意味がないという。それでも私たちはこの検査を受けることを選択する。「子宮内膜の細胞をピペットで採取します」と簡単に書かれているが、要は麻酔もせずに子宮の内側から細胞をはぎ取られるのだ。ずうううーんと内臓の奥に響く未知の痛みには、なんともいえない恐怖感がある。

 結局私はこの検査を3周期連続で行った。その間に、ビブラマイシンをはじめ抗生剤を3種類飲んでいる。ビブラマイシンを2週間飲んでもまた陽性が出てしまったので、もう2種類の抗生剤を同時に2週間で飲み切ったのだ。

 強い抗生剤だけに、飲み続けると吐き気や胃痛がしてくる。これで大事な善玉菌も一緒に殺されているのだろうなぁなどと思いながら、炎症を起こしている菌に効くかどうかもわからないこの薬を飲み続けるしか術はない。

 3度目にして陰性が出たのは幸いだ。それすら運がいいと思ってしまうくらいには、だいぶ不妊をこじらせている。

「PGT-A検査をせずに移植して、もしだめだったらさ」

 夫は少し目頭を赤くしながら、ぐっと息をのんで話を続けた。

「必ずしもこれでだめだとは思わないけどさ。でも仮に、だめな可能性はあるわけだから。そのときに、これで最後にするのかどうか……」

「そのときはもう一度、PGT-A採卵に挑戦したい?」

 私たちはお互いに、もしまた着床できたとしても、それが流産になる確率が高そうなのを薄々感じていた。そうなれば回復にも時間がかかり、年齢的にますますその先の治療を続けるのが難しくなることも。

 今回このまま移植をすれば、本当にそれが最後になりそうだとは、ちゃんと頭でわかっているのだ。それでも。

「もしだめだったらさ。どうしたいのか、そこでもう一度考えればいいじゃん」

 景気づけのようにパチンと手をたたいて夫は言った。「これで最後の移植と思ったら、またプレッシャーもかかっちゃうから。最後とは思わずに、もしだめでもまたそこで採卵を続ける選択肢もあるって思ってしようよ、移植」

 確かにね。やってみなきゃ、すべてはわからない。結果が出たら、そこから考えよう。どこまでもマイペースな私たち夫婦は、そうやって「なんとかなるさ」精神でここまでやってきたのだ。治療に限らず、あまり外では言えないような紆余曲折はたくさんあったけれど。

「そうだね」

 晴れ晴れとした顔でそう答えたつもりだったが、言葉と一緒にぽろぽろと涙まで出てきてしまった。なんの涙かは自分でもよくわからない。

 「もう!」と自分で言って笑い飛ばしながら、夫の胸に思い切り飛び込む。ぎゅうっとしてもらって、その温もりの中で私の決意も固まった。

「移植、しよう」

 とうとう私たちの「終わり」がはじまった。あとはもう、どうにでもなるようになれ。

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