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【原千晶さん】インタビュー(3)

最後である第3回目では、闘病時の周囲の方とのエピソード、そして今振り返って思うことについて語っていただきました。

前回のインタビューはこちら→【原千晶さん】インタビュー(2)

病気を治そう、患者スイッチが入った瞬間。

ーより闘病生活が長かった2度目のがん。周囲の方のサポートもあったと伺っています。

まず1番に、今もお世話になっている主治医の先生に救われました。2度目の治療開始にあたり、最初の手術(円錐切除手術)を受けた病院のカルテが必要になり、通院をやめて以来連絡をとっていなかった先生に恐る恐る連絡をしました。すると先生は怒ることなく、すぐに診察をしてくださりました。その診察を受けたときになんだかとても安心して、身勝手ながらここの病院でまた治療を受けたい、と思いました。それを自分から言い出すことはできなかったのですが、先生が「うちに戻っておいで。原さん、マイナスからのスタートだけどちゃんと治療すれば大丈夫だから。」そうおっしゃってくださったんです。2度のがんを通して、初めて先生から「大丈夫」という言葉をかけてもらいました。さらに、「絶対に助けてあげるから、あなたをもう一度社会に戻してあげるから、今度こそ逃げずに頑張ろうよ。」そう言ってくださりました。
その言葉を聞いたとき、本当に救われたのと同時に、今まで逃げて逃げて、病気だったけど関係ない関係ないって自分の都合のいいようにやってきたな、と心の底から反省しました。患者スイッチが入ったというか、今度こそ正面から病気と向き合って治そう、心を入れ替えようと思った瞬間でした。


ありがたい、そして申し訳ない。巻き込んでしまった家族への思い。

ー主治医の先生のお言葉が気持ちのうえでターニングポイントになったのですね。やはりご家族の存在も支えだったのでしょうか?

はい。私の場合、母と主人(当時の恋人)にも救われました。
私が受けたTC療法では、副作用として脱毛がまず最初に始まりました。本当にわかりやすくビジュアルが変わっていくんですね。さらに、抗がん剤治療の薬の副作用として、体全体がむくみ、太っていきました。かつらをかぶるとか、お化粧するとか、つけまつげもしました。でもね、本当にちょっと無残なんですよ。見る影もないというか。でも、そんな私をみても主人は何も変わりませんでした。驚きもしない、大丈夫とも言わない、何にも変わらないんですよ。彼は仕事が終わったら必ず毎日病院に来て、母が用意したご飯を病室で食べながら1日の話をしたり、黙ってただ週刊誌読んだりしていました。私としてはお見舞いに来るんだから、ケーキの1個、花束の一本、もってこいや、とも思ったんですけど(笑)。何にも変わらないんです。
私がどんなに醜くなろうと、わがままを言おうと、主人は顔色を変えることなく、淡々とそばにいました。苦しいから足をもんでくれ、とか、今日これはこれは食べたくない、とか、本当にわがままをいいました。それでも決して離れずに、同じ歩幅、速度で、横にいてくれました。それがどれだけありがたいことだったのか、闘病の後に染み渡るように分かりました。

ー強い方ですね。

そんな主人も1度だけ一緒に泣いたことがありました。2度目のがんが分かって通院がはじまったときのことでした。重い気持ちで朝起きて台所にいくと、彼が4つ小さなおにぎりをこしらえていたんです。「病院でもおにぎりだったら食べられるかと思って」と。その瞬間、私はなんだか涙が止まらなくなって。泣きながらありがとうと彼をみると、彼もぽろぽろと泣いていました。普段は気持ちが張っていたと思うんです。でもそのときだけは、おにぎりを見て二人で抱き合って泣いてしまったことをよく覚えています。

ー抗がん剤治療の後にご結婚されたと伺いました。

主人だけではなく、本当に周囲の人を巻き込んでしまいました。
私の抗がん剤治療が始まった頃に、主人は一人で両親のところへ私との結婚の話をしにいきました。私に子供ができないこと、今もまだがん治療中であることから、おそらく反対されるであろうと覚悟はしていました。ですが、義親は「おまえが決めたんだな。千晶さんはがんという大変な病気をして、今治療中で、この先またどうなるかも分からない。子供を授からない人生を2人で歩んでいくっていうことへの覚悟があるのか。もし彼女を傷つける形でおまえが途中で放り出すようなことがあるのならば、おまえはもう俺の息子じゃない。」そう主人に言ったそうです。実家から病院に帰ってきた主人から義父のこの言葉を聞いたとき、私は6人部屋で他にも患者さんもいる中、人目もはばからずに、もう泣き叫びました。ひたすらに、ありがたいというのと、それ以上に申し訳ない、ごめんなさい、という気持ちでした。子供ができない人生を主人にも、両親にも背負わせることになってしまったんですね。主人は長男なので、名字を継げません。そういうことにまで巻き込み、私だけのことじゃなかったんだなって本当に痛感しました。大切な人がいるってことは、こういうことなんだなと、そう思いました。


私だけのことじゃない。がんを通じて気がついたこと、伝えたいこと。

ー2度のがんを振り返って、今思うことを教えていただけますか?

1度目のがんの時は、散々虚勢をはって、「大丈夫、私は一人でやっていける。がんなんて吹っ飛ばしてやる。」と思っていました。けれど、病気に向き合わず間違った行動をとった結果、2度目のがんは命を脅かすほど大変なものになりました。
自分だけのことじゃない、大切な人たちの人生をこうやって巻き込んでしまった。そのことが一番苦しいです。今でも苦しいです。後悔してもどうにもできないですが、私が大丈夫だったらいい、私が我慢すればいい、と考えていたことが間違いだったいうことに気がつかされました。

ーありがとうございました。最後に、原さんのがん啓発活動への思いを教えてください。

私自身はだめだめな人間ですが、周りにたくさん救われて、今があると思っています。それだけに、自分が間違っていた事を多くの人に伝えたいと思っています。特に、私が病を患った子宮という臓器は女性が子供を産み育てる大切な部分であり、子宮があるから私たちもお母さんから生まれてきたわけです。ですから、若い女性の皆さん、いつかお母さんになりたいなという人に、私みたいな思いや経験をしてほしくないし、そのために間違った知識をもってほしくないな、と思い活動をしています。

【原千晶さん】インタビュー(2)


全3回にわたる記事でしたが、いかがだったでしょうか?
子宮頸がんはワクチンや定期的な検診受診によって予防可能な病気です。
&Scanは今後も自宅でできるリスク検査キットという立場から、子宮頸がんで苦しむ方を少しでも減らせるよう、邁進して参りたいと思います。
そして、最後になりますが、今回の企画にご協力いただいた原様に心より感謝申し上げます。

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【この記事を書いたのは】インターン生 三井日紗子 普段はHatch Healthcare株式会社で、PR活動を担当。

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