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猫派の対立概念(前編)

あなたは猫派ですか? それとも犬派ですか?

人類と猫や犬がともに暮らし始めて以来、世界各地で毎日10万回は繰り返されているであろうこの愚問、本当にそれでいいのでしょうか?

いやいや、「派閥ではない、勉強会だ!」なんて、裏金大好き自民党みたいなことを言いたいわけではありません。

猫派か犬派か。そうやって対立構造を作って人々を分断させようとするとはけしからん、とは思います。「犬も猫もウェルカム」という人はいくらでもいますからね。

きのこVSたけのこ、親ロシアVS親ウクライナ、みたいな低レベルな争いはもう終わりにしてほしい。

仮に猫派に対立概念があるとしても、それは犬派ではないはずです。だって、猫派の対立概念は"鳥派"かもしれないのですから。

猫派の対立概念は鳥派?

もちろん先の例に照らし合わせれば、「猫も鳥もウェルカム」という人は大勢います。猫派を自称するぼくも同じです。以前の住まいではウグイスがよく鳴いていたのに、現住居ではさっぱりなのを寂しく思います。鴨も歩いてないし~。

いやしかし、人類がどう感じるかなんて実はどうでもいい話。

自然の摂理からして、猫と鳥の相性の悪さは折り紙付きなのです。なにせ、猫は鳥を食っちまいますからね。

"猫嫌い"あるいは"非猫派"は、動物アレルギーとか、猫の自由な振る舞いが気に入らない(=人に従順な犬の方が良い)などといったことを猫アンチの理由に挙げることが多いようですが、見過ごしてはいけない"強烈な理由"のひとつに「飼っていた鳥が猫に襲われた」というものがあります。

これは非常に悲しい事態です。

かつて我が家に暮らしていた猫1号も、「これ……野鳥じゃないだろ」というのを捕まえて来たことがあり、心から勘弁してほしいと思ったものです。もちろん、むしろその鳥の飼い主の方が(もう決して帰って来ない)鳥のことを思って悲しい日々を過ごしたり、「きっと猫に襲われたんだ」という根拠のない被害妄想(事実だけど)に苦しんだりするわけで、よっぽど「勘弁してほしい」でしょうけどね。

凶悪犯、猫1号(昭和)

とはいえ、とはいえですよ。

たしかに猫は野鳥を捕まえて来ることがあります。野良猫なら自らが生きていくために食すことも当然あります。でも、人間が飼育していた鳥をうっかり外に逃がしてしまったなら、そこで野鳥と同じような運命をたどるのは「人間のせい」であり、猫のせいにするのは逆恨みなのではないでしょうか?

また最近は多くないかもしれませんが、昔は鳥籠を家の軒下など屋外にぶらさげているケースがまま見られました。猫にしてみれば、本来自由に空を飛んでいてなかなか捕まえられないはずの鳥を、人間がわざわざ捕まえて近くに置いてくれているようにしか見えません。

軒の上にでも行けば手が届く、となれば猫にとっては「プレゼント」です。なのに無事ゲットすると、なぜか怒られたり、恨まれたりするという理不尽がそこにあります。

あるいは鳥籠は室内に置いていたけど、いっしょに飼っている猫が襲ってしまったというケースも聞いたことがあります。「猫も鳥も好きだよ」という気持ちは良いのですが、同時に飼うのはやはり難しいですよね。そのあたりの決定権や責任は親や大人にあるはずですから、よく考えて不幸な事態が起きないよう充分な対策を行なってほしいと思います。

それでも、家で大切にしていた鳥が飼い猫に襲われ無惨な姿になったのを子どもが目撃してしまえば、トラウマになるのは避けられないことはあるでしょう。そして判断力の乏しい子どもにとって、猫が嫌悪の対象になってしまうことも。意図的ではないものの、いっしょに飼うことのリスクを正しく認識していない人類の罪を、猫が背負わされることがあってはなりません。

ちなみにぼくが小学生のころ、我が家では猫と同時にウサギを飼っていた時期がありました。ある日学校から帰ると庭に置いていたウサギ小屋が倒されており、小屋のなかにウサギの姿はありませんでした。家の裏に探しにいくと、そこには……

在りし日のウサギ小屋と、凶悪犯猫1号(昭和)

以来、いつでも猫をお迎えできるように、ウサギを飼うことはなくなりました。ごめんなさい。

ペット禁止規約の対立

ところで、猫派と鳥派の対立構造は、実は多くの集合住宅の「ペット禁止ルール」にも潜在していることが見て取れます。

次回後編では、そのあたりについて考えていきます。

(つづく)


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