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ただただ時間が空費される部屋

太鼓持ちばかりの空間。目の前にある労力の半分は、教えても教えてもゼロベースに戻る壊れた作業機械だった。誰も面倒をみてくれない、その機械の面倒を日々みやる。それだけで一日は過ぎ、翌日また同じことを話す。

価値を生み出している残り半分の生産を守るために、ただただ壊れた機械の相手をしつづける。どんな価値も生み出すことができない壊れた機械。少しでも仕事してるように見せるために代わりに取り繕ってあげると。

ありがとう。

当たり前のように言う。礼などではない、そのやりとりはもはや作業でしかない。そこに気持ちの重さは全く感じられない。なぜならば、考えることも企画することも努力することすらも忘れているからだ。

ありがとう。

そんな軽い言葉なんか必要としていない。壊れた機械から自発的に価値が生まれてくるのを心から待ち望んでいるだけだ。いつか、いつか、いつか。そんな日が来るのを待っていた。

何度指摘しても、面倒というハードルが超えられない。

どんなことでも、わからないことがあれば人に訊く機械。そんな機械の相手をしているだけで一日は浪費される。面倒というハードルが超えられないその壊れた機械のCPUの代わりに自分の脳を差し出し続ける。

わからないことがあれば、まず自分で考え、マニュアルに当たり、どうしてもわからなければ人に訊く。そういう段階を経た質問はすぐに見分けがつくものだ。答えてあげたいという情が湧く。

でも、壊れた機械から繰り出される質問は、そうじゃない。凶器だ。

答えなければ作業ができないから答えるが、完全に義務であり、奴隷になった気分になる。そして教えた知識は、一向にその機械の獲得形質にはならない。やがて、教える方は心を病む。

いま価値を生み出している残り半分の労力が、以前は壊れた機械の先生役を務めていた。その時、みるみる正常な判断力を失っていき、眠る時間すら削られていった。全体の生産性がゼロに近くなった。

組織の生産性は、ボトルネックに依存する。遠足で足が遅いのに重いリュックを背負った子がいたら、彼を一番前にもってきても後ろにもってきても全体の速度は彼の速度に依存する。

しかし彼のリュックを誰かが背負ってあげれば、全体の速度があがる。

そこで、壊れた機械の負担を減らしてみた。全体の速度はあがった。さらに壊れた機械の先生役を替わることで、残り半分とラインを分けることができた。やがて、残り半分が活き活きと動き始めた。

目的は果たすことができた。しかし代償は大きかった。

リーダーにとって、そこがただただ時間を空費するだけの空間になり果てたのだ。毎日重い身体を引きずってそこに行き、重い扉を開けた。悪貨は良貨を駆逐する。行く場所がない悪貨だけがそこに居続ける。

そして他には誰も居なくなる。

これは古代ギリシャの寓話だが、この組織にとって、最高の治療法は何だったのか。あなたが神様なら、どうしただろう。

神様は忙しく、意外と気儘なものなのだ。
壊れた機械すら自らの創造物。神様にもプライドがあるのだ。
神様だって、太鼓持ちに踊らされ我を失う。
あなただってそうだろう。

誰も正当な答えを出せる保証はない。



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