「サムと僕」

朝、
目が覚めると僕は整理のなっていない
屋根裏にいます。
昨日の夜はこむら返りになってしまって
痛くて痛くて、悲しくもないのに泣いてしまいました。


足にはもう痛みはなくて、
朝はいつもと変わりません。

いつもと変わらない朝だから、
僕は外の犬小屋まで寝巻きで歩き出します。

小屋の前まで来ると、
サムは僕の手を舐めに来るために
素早く立ち上がります。
僕はサムがいつも好きでした。
彼はとても賢くて強いから
憧れていました。

とても会いたいです。

サムは少しくすんだ白い毛並みで、
口の辺りと尻尾の先だけははっきり黒でした。
瞳は、きっとブラウン。
後ろ足で立ち上がると、
五歳の僕は彼を見上げなければいけません。

ダニの出る季節はとても大変です。
パウダーをかけていても、
サムの目の周りにいつも豆粒みたいに張り付いて、
僕は奴らを線香の先で
焼いては取り、焼いては取り。
「ごめん、ごめん」って言いながら
嫌がるサムの顔にいるダニを殺しました。

彼は脱走の名手でした。
だから父は犬小屋の周りに
パイプで囲いを作りました。
サムを繋ぐのはワイヤーを結った頑丈な紐。

それでも彼は脱走しました。
ワイヤーにつながる金具を壊し、
パイプの間をスルリと抜けて。

僕たちが探しに行くと町の人が
「さっきサムくん見かけたよ」なんて。
彼はちょっとした有名犬でした。

サムは僕が近くでハンミョウを
虫網で捕まえるのも見てました。
僕が山の斜面を削って
見つかりもしない化石を探すのも、
栗を拾うのも、
フキノトウやワラビを採るのも、
雪合戦をするのも、
きっと泣いているのも見ていました。

僕は一度だけ
サムに「死んじゃえ」と思ったことがありました。
僕の友達の掌を噛んだ時です。

僕は彼に一度だって
噛まれたことはありませんでした。
だから大丈夫だと思って友達に
「撫でても大丈夫」と言いました。
僕はサムがとても警戒しているのに
気付いていませんでした。
友達がパイプのケージ越しにサムを撫でようとすると、
サムは鼻の辺りに皺を作って歯をむき出しました。
「あっ!」って思った時にはサムは噛み付いてしまいました。
友達の掌からはダラダラと血が流れて、
親指の付け根の辺りに小さな穴が開いていました。
僕は驚いて固まってしまったけれど、
次の瞬間にサムの頭を殴りつけました。

その日の夕飯の時、
母に「あんな犬は殺さなあかんで」
と言いました。
二、三日言い続けました。


俺は蝿が憎い。ウジも憎い。彼に群がる虫が憎い。
命の終わりが、とても憎い。

きっと無限に走り続けられるのだと思っていた。
その姿は憧れのままだと思っていた。

床ずれを防ぐために横になるサムの
態勢をよく変えた。
もう彼は自分の足では立てなかった。
彼の皮膚は破れて、
膿んでしまう。

そこに蝿が、ウジが、烏合の虫が湧き散らす。
殺しても殺しても。いくら追い払っても。
死体に群がるようにして。
息をして、俺の手を舐めるサムに群がる。
あんなに憎いものを僕は他には知らない。
全部全部殺してやりたかった。
全部全部殺してやりたかった!

息つく度に落ち窪んでしまう目。
ついに家の玄関に移された大きな身体。
傍にずっと僕は座り込んで、
もう長くは生きられないことを知らせる様な
変な音の呼吸を聞く。

こんなにも簡単に忘れてしまいそうになる。

彼の窪んだ瞳は今になって僕の胸を潰す。

俺の中には、
僕の中には憧れが湧き出した。

サムはまだ僕のことを忘れてはくれない。
決して、忘れてはくれない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?