輪島(能登),金沢,山中(いずれも加賀)などを回り,日本海沿岸を南下して瀬戸内に入り,故郷を待ち望む “椀屋さん”(椀舟行商人)たちの眼に真っ先に映るのは,綱敷天満宮の鳥居と志島ヶ原の白砂青松の風景であったのではなかろうか。
桜井漆器産業の発展史を語る上で欠かせない加賀と能登は,白砂青松の「白」と「青」を象徴する土地柄でもある。
加賀は清々しい「白」の国である。
烽火に最適なのが乾燥したオオカミの糞であり,モンゴルの草原ではオオカミの糞が烽火に使われたとのこと。異国船来襲を告げるために珠洲岬の近傍の山で烽火を上げたとの説である。
渤海国からの使者が初めて目にする陸地ゆえ,“倭島”(輪島)と呼んだとの説もある。
能登には海の「青」がふさわしい。
谷川健一は,地名には “共同感情を喚起する力” があるとする。
土地と地名は固くむすびつき,土地は生きた命をもち,名前さえもつ人格であったとする。
能登は,“共同感情の喚起力”を象徴するような地名の宝庫である。
珠洲市との境に近い能登町 “恋路海岸”。
穏やかな波の打ち寄せる砂浜と鳥居,弁天島,見附島(軍艦島)が指呼の間に浮かび,日の出の美しさに息をのむ。
伊予の志島ヶ原から眺める瀬戸内の光景をも思い起こさせる景観である。
恋路海岸の最寄り駅として,のと鉄道能登線 “恋路駅” があった。
隣接する松波駅からの “松波発 恋路行き” 切符は,記念品として人気があり,かつての恋路駅には,いまも恋人たちが全国から訪れる。
2005年(平成17年)に廃線となり41年間の役割をおえた旧恋路駅を守り続けている人たちがいる。
恋路の集落に隣接する珠洲市宝立町宗玄にある “宗玄酒造” のスタッフが,日々の清掃から恋路行き切符の販売などを受け持っている。
奥能登最古の能登杜氏発祥の酒蔵 “宗玄酒造” の創業は1768年(明和5年)。桜井が天領となり,椀舟のルーツとなる廻船業者が航路を伸ばし始めた時期に重なる。
旧能登線が廃止となったことから宗玄トンネル(135m)を酒蔵として利用するため,周辺の線路の土地を購入したところ,恋路駅の土地も含まれていたとのこと。
年間を通して約12℃に保たれる宗玄トンネル内で貯蔵する “隧道蔵酒” が,老舗酒蔵に加わる。
進取果敢の気風は,伝統をいまに受け継ぐ能登杜氏の酒蔵にもみなぎる。
2024年(令和6年)1月1日午後4時10分,強烈な揺れがこの酒蔵をも襲う。
輪島,能登町,珠洲を含む,奥能登の酒蔵すべてが再開の見通しすら立たない極めて厳しい局面に直面する。
※ 以下,各酒蔵からの発信情報は,2024年1月21日に閲覧した内容に基づく。
2007年(平成19年)3月25日に発生した能登半島地震(最大震度6強)から復興を果たした奥能登の酒蔵魂は,既に沸き立ちはじめている。
金沢学院大学経済学部教授 佐藤淳 氏は,2011年東日本大震災の復興支援を契機とした特定名称酒需要のⅤ字回復の実績を踏まえ,日本酒と単式蒸留焼酎を “國酒” と総称して,議論を展開する。
佐藤氏は,ブランド化のポイントとして “伝統の現代化” を指摘する。
伝統の現代化は,景観形成・改善にも効果を発揮するという。
京都においては,伝統文化とは,古い文化遺産であるとの認識であり,かかる見識は日本の常識ともいえるとした上で,
古都における駅舎の景観問題を具体例として,國酒産業を含む伝統産業の成長戦略が提案される。
米国の旅行雑誌 “トラベル・アンド・レジャー” ウェブ版(2011年)により “世界で最も美しい14駅” に日本で唯一選ばれたのが金沢駅(第6位)。
東口広場に構える “鼓門” は,木造建築物としてはもちろん,“工芸品” としても鑑賞に値する。
戦後の国土緑化推進運動の一環として,植林が続けられた人工林は,樹齢が50年以上となる割合が50%を超え,利用期を迎えている。
“伝統の現代化”により創出される作品が,木材の地産地消を推進する。
沈金技術を惜しみなく伝授するなど,桜井漆器の飛躍の礎となった輪島塗。素地には輪島周辺に生育するアテの一種たるマアテが主に用いられている。
石川県の木にも制定されているアテとは,ヒノキアスナロ(檜翌檜)の方言による呼称である。別称を能登ヒバという。
牧野富太郎が命名したことから学名は “Thujopsis dolaburata SIEBOLD et ZUCCARINI var.hondai MAKINO” である。
アテ(能登ヒバ)の材質は,きめ細かで粘り強く,耐久性に富んでいて,光沢と香気があり,帯黄白色で優美。
輪島の漆器職人,能登杜氏の気質は,アテを育む能登の気候,風土に由来するのかもしれない。
能登の人情を称して “能登はやさしや土までも” という。
土になぞらえるところが,能登らしさのあらわれである。
能登杜氏の造る酒は “濃厚で華やか” とのこと。
椀舟発祥の原点となり,輪島とともに桜井漆器の繁栄に尽くしてくれた紀州の黒江。1866年(慶応2年)創業 名手酒造店の銘酒 “黒牛” を醸すのは,能登杜氏組合で研修を受けた社員杜氏である。
佐藤淳 氏の提言に即して,能登の酒蔵の復興が,能登地域の再生につながること,能登の銘酒の需要回復が,日本酒市場全体の需要拡大にもつながることを確信する。
“伝統の現代化が適用可能な具体的分野や産業”の雄たる輪島漆器業界にも,同じく希望の光が差し込むことを。
必ずや再建を遂げる輪島塗の酒器で,能登杜氏の醸した “濃厚で華やか” を堪能できる日が早からんことを。
伊予桜井の酒造家に生まれ,酒を大いに嗜み国土の復興を説いた村上龍太郎も,一献を交えてくれることだろう。(終わり)