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ムラサキシキブ|「今」と「季節」

今朝は雨でした。奄美や沖縄に続き、九州南部や四国も梅雨入りしましたが、本州も今週、来週には梅雨入りとなりそうでしょうか。関東の平年の梅雨入りは6月8日ごろだそうですが、今年もそのくらいだと言われているようです。

今朝見たら、写真のムラサキシキブに蕾がついていました。小さな花を咲かせると聞いていましたが、見落としてしまいそうなくらい小さな蕾ですね。ムラサキシキブは去年の秋(写真の情報を見たら9月22日)にうちにきていたので、6月の姿は初めて見ることになります。だいたい梅雨といっしょに開花するようなので、はやくもその気配を感じています。

下の写真は、去年うちにきた日のムラサキシキブ。紫の実がかわいい。ほおずきも元気なことで。。

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ただ、このムラサキシキブ。秋に(10月5日)一度枯れてしまっています。苔玉に慣れていない頃で、水の加減がわからなかったのです。土台の苔も茶色い…いちどすべて枯れてしまった後に、また写真のような緑の若葉をつけたときは、とても感動したのを覚えています。

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いまではまた青々と枝を伸ばしてくれています(そういえば全体の絵を撮っていませんでした)。花も実も、待ち遠しい。


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あっという間に季節が過ぎようとしています。コロナによる自粛がはじまって3ヶ月弱。今年は桜が咲いたかどうかを思い出せないくらい、季節とも行事とも疎遠になってしまいました。

写真を遡っていて、昨年の今頃何をしていたか、昨年の6~7月に何をしていたかを見ていると、今年は何かが出来ただろうかと心配になってきます。毎日を過ごしている間は「今」この瞬間に夢中です。「今」に不満がないなら問題はない。けれど、本当にそうでしょうか?

「今」の思いや感情とどのように付き合っていくべきか考えています。冷静さを保つよう、持ち帰ってよく吟味して理性的に表現するのが良いのか、そのときの気持ちを包み隠さずに感情的に表現するのが良いのか。とくに、その時感じた希望、感謝といった気持ちは、いちど蓋をしてしまうと、そのまま永遠と失われてしまうことも多い。怒りは後から訴えても良い時を失ってしまっていることもある。かといって、感情任せにしてコントロール出来ない状況も、むやみに人を不愉快にさせてしまうで避けたい。感情というのはとてもつもないエネルギーを秘めているからこそ、扱いには慎重になるべきだと思っている。(そのエネルギーがなければ、達成できないこともあれば、そのエネルギーに振り回されて、誰かを傷つけてしまうこともある)

どれくらい私たちは「今」とともに生きるべきなのでしょうか。

そんなことを考えるのは、今のアメリカの状況について、twitterでツイートを見てからです。

「今」しか見えない、見られない。もっと長い単位で物事を見ることは難しい。けれど、「今」だけみていては変えられない状況がある。繰り返されてきた状況がアメリカの歴史にはあるのだと強く感じます。

私にとっても「今」というのは一回しか来ないものです。後から振り返って、後悔するのでは遅いのです。



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