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「善く生きる」ということ

「何ができるか」「何を知っているか」というのは、生きていく上でとても大切です。

時代の移り変わりも速くなり、新しい事を学ぶ機会が多くなりました。そして、歳をとっても学び続けることが推奨される世の中になりました。

このような世の中を、最近では「VUCAの時代」と呼ばれることもあります。
Volatility(変動性)
Uncertainty(不確実性)
Complexity(複雑性)
Ambiguity(曖昧性)
の頭文字で、簡単に言うと先が見えない時代だということです。

「新しいことを学ぶことが大事なのは、当然だろう」
皆さんそう思われるでしょう。ただ、わかっていても学べない。なぜでしょう?

ソクラテスの言葉を借りると「無知の知」が得られていないのではないかと私は思います。「無知の知」とは、「知らないという事を知っている」ということで、聞いたことはあると思います。

「無知の知」を持たない、つまり知ったかぶりが学ぶことを妨げるので、ソクラテスは警鐘を鳴らしたのです。
学習の根本は「興味」にあります。知らない事を抵抗なく受け入れられるというのは、楽しんで学べる唯一の方法なのではないでしょうか。

学び続ける事の重要性、そして鍵となる「無知の知」を紹介しました。
ただ、もっと大事なことがあります。それがタイトルの「善く生きる」です。これもソクラテスの言葉なのですが、あまり知られていないように感じます。

「善く生きる」とは、したい事をするということです。ソクラテスは、無知であることを様々な人に理解させることで、多くの反感を買い、訴えられて裁判になりました。そして死刑判決が出た後に、監獄で言った言葉とされています。その場でソクラテスは「言いたいことが言えない、したい事ができないなら死んだほうがましだ」という思いから、自ら死刑を選びました。

現代でも、したい事をするというのは難しいことです。むしろ、したい事がないという人も多いでしょう。

ただ、「やりたいことをやろうとする。そのために多くを学ぶ。」ということは、時代を超えて更に重要性を増すことだと思います。

新しい時代でやる事が大きく変わるとは言えど、心に留めるべき核心の部分というのは案外変わっていないのかもしれませんね。

参考 ソクラテスの弁明 プラトン

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