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宮内悠介「ディレイ・エフェクト」を読む (第158回芥川賞候補作 #1)

芥川賞候補作、宮内悠介「ディレイ・エフェクト」(「たべるのがおそい」4号所収)、読了。

オリンピックが間近に迫った2019年の東京。
そこでは年明け元日から各地で、〈75年前の東京〉が具体的に可視化された〈像〉として出現し、現実の世界と重なり合ってしまうという現象が発生していた。
折しも、日本は太平洋戦争の後半の真っ只中。
その現象は現実世界の時間と連動して進行している。具体的には、1944年元日にはじまって、それぞれの世界の時間の進み具合は同期をとっている。

主人公の「わたし」は婿養子で妻の曾祖父母の代から暮らす家に住んでいる。彼の家では、毎朝7歳の祖母(75年前は7歳なのだ)が玄米を瓶の中で搗いていて、「わたし」の家族はその音に悩まされているという具合。しかし、彼女や彼女を取り巻く光景は写真にも音声にも記録されない。

そういった現実世界と75年前の〈像〉が重なり合う・・・その現象は「ディレイ・エフェクト」と名付けられたが、かといってその原因も対処法も解らなかった。

ただ、戦時中の庶民の暮らしを目の当たりにできる現象に、「わたし」は単純に好奇心をそそられるが、妻は娘とともに一刻も早い「疎開」を考えている。
なぜなら翌年3月には、東京大空襲で曾祖父母の家は焼失し、曾祖父母は焼死してしまうことが解っている。
その姿を娘に見せるのか。

その一方で「わたし」は「疎開」には今ひとつ積極的になれない。それは娘に〈かつてあった東京の戦禍〉を見せたいと身勝手に思っているからだった。
疎開問題をきっかけにして、夫婦仲はこじれはじめ、娘は心を閉ざすようになる。仕事でもうまく行かず、プロジェクトリーダーの任から外される。
そして妻は娘とともに家を出て行った。
戦局はますます悲惨なものになっていった。

運命の3月10がやってきた。
すると、「ディレイ・エフェクト」は突然不可思議な〈かたち〉を見せる。そして主人公のもとに届いた妻からの手紙。
そこには彼女が「疎開」を強く願った本当の理由が書かれていた。

SF的な趣向で、歴史と現代とを接続してみせるそのアイデアの発想と技はなかなかのものだと感じる。
戦後70年経ってもなお、ぼくたちはまだあの戦争を総括できていないという現実に、フィクションから一石を投じたという意味ではとても興味深い。『カブールの園』(こちらも芥川賞候補作だった)で見せたテーマの延長ともいえる。

だがこれまた『カブールの園』でも感じたように、良い言い方をすれば「もっと読んでみたかった」。意地悪な言い方をすれば「あらすじだけを、アイデアだけを読まされた感じ」がする。

SF的趣向をとったからこそ、もっと精密に描いて欲しかった。壮大な嘘は緻密なリアルによってこそ説得力をもつ。紙幅の関係もあったろうが、ぼくはこの作品は芥川賞はとらないと思う。



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