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あの物語は私のif。

私の生きた19年は、どこへ行くのだろう。
つらかった、苦しかった、楽しかった。
そんな人生。

もしも私があの時、違う選択をしていたら私はどうしていただろう。
「私の生きた19年を詰め込んでる」、ある意味間違ってはいない。だけど本当のことを言うと、「私が生きたかもしれなかった19年」も入っている。私のifを、描き出している。

穂崎です。

今日は、今書いている小説「流れゆくそこで」について。


あの物語は私のif

ふと振り返ってみて、私はどちらかと言うと優等生な人生を歩いてきたなと思います。
学級委員をやったり、修学旅行では実行委員長をしたり、高校の部活では部長になったりしてました。

そんな私は、ぶっ飛んで型破りなことは多分してこなかった方だと思います。
若気の至り的な羽目の外し方も、やらかしも、大してしてきてないと思います。

私が今書いている、私の生きてきた19年を詰め込んだ作品と称してる「流れゆくそこで」では、優等生なキャラをぶっ壊してくるキャラクターがいます。

書いてて気づいたのですが、これは私がやりたかったことだ、と思ったのです。
自分から望んでやった優等生というキャラクター。いつからか私はそれに縛られ苦しめられていた。今私はそれを辞めたい。

いつかの私がやりたかった、今の私がやりたい、自分という仮面をぶっ壊すということ。

それを、小説の登場人物たちはやってくれていると思っています。


書いては振り返って、それを繰り返す

自分の生きてきた証として小説を書くと決めただけあって、小説を書きながらも自分の人生を振り返ることは多々あります。

自分の人生をヒントに、今まで関わってきた人たちの言葉をヒントに、今書いています。

もし、完成してリアルの友達とかに届いたら、それを言ってた本人に届くことがあるのかもなぁ……なんて。きっと言ってた本人は忘れてるだろうけど。それでもいい。

私の中にあればそれで。

なんてことを思った土曜日でした。


それでは今日はこの辺で。
ありがとうございました。

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