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〈読書感想〉神に愛されていた

心に、静かに、燃えるように積もる愛の物語。
そんな感じがした。
光と闇、憧れ、羨望、嫉妬。狂気。
それぞれの視点で、全く異なる言葉の意味。

本当の意味は、伝えなければ、言葉にしなければ、届かない。


出会い

まずはこの本との出会いについて少しだけ書きたい。この本との出会いは、偶然だったようにも思えるし、必然のようにも思う。
この作品の著者、木爾チレン先生とは、文学フリマ京都8で出会った。初出店した私のブースの隣に、先生はいた。

先生のブースには長い列ができていて、ファンがたくさんいることが見て取れた。
本屋に並ぶような本を書く、文字通り小説家。
多くの本を出版し、それが売れたり、ファンの持ってきた著書にサインをしていく姿だったり。

私は静かに、「愛されている」と思った。


次からが本題。
感想に入りたいと思う。ネタバレ注意。


彼女は静かに夢を見る

この物語は、主人公である冴理の語りによる回想が多くを占める。

「あなたは、誰かを殺したいと思うほどの絶望を味わったことってあるかしら」

彼女は、編集者である花音にこう語りかける。

誰かを殺したいと思うほどの絶望。
彼女の絶望とは、どのようなものだったのだろう。それが明かされるのは、中盤から後半の話。

まずは冴理の見ていた夢の話へ。
冴理は高校時代、母とふたり、ワンルームの汚部屋で生活していた。
ごみの中で、冴理は夢を見る。

そのまま大学生になっていくのだか、大学生というものはお金がかかる。
稼ぐために、生きていくためにと冴理の見る世界は少し姿を変える。

物語の中で覗いた夜の世界は、必ずしも闇に飲まれたものではなかった。案外優しくて、あったかいもののようにも感じた。

小説家として名を挙げ、自分は愛されていると、天才なんだとそう信じて疑わなかった冴理は、人生を変える出会いをする。

それが、もうひとりの小説家・天音との出会い。
天音も、かつては冴理と同じように夢を見ていた少女だった。


希望と絶望は

天音は希望の物語を書く。
冴理に天音のような物語は書けなかった。
天音が光なら、冴理は闇。そんなふうにも思える中で、ある言葉が印象に残った。

「希望と絶望はセットです」

これは現実世界にも言える。
私もそう。
人間の心のようだった。

天音の小説は世間に評価され、冴理との差が大きく生まれていった。

自分ではなく天音こそが神に愛された存在なのだとそう悟った冴理は、小説が書けなくなってしまう。

自死も試みた冴理は、高校時代の後輩に止められる。そして放たれる、不幸の輪唱。

天音に奪われた。
奪われたものを、ぜんぶ、奪い返す。

そうして書き上げた作品。

思いをぶつけた、その作品の題名。
あまりにもまっすぐなそれは、重ねてはいけないのかもしれないけど、私のようで。

私も小説を書いている。
過去に書いた二作。それよりもさらに前に書いた高校時代、大学での演劇部の脚本。
物語。
その時の私の思いを、痛いほどまっすぐにぶつけた作品たち。

周りからはこんなふうに見えてたのかなと、何となく感じることが出来た。


冴理の書きあげた作品『いつか君を殺したかった』は、天音を殺したいという思いで書いたものだ。

まっすぐなその言葉は、天音の死への引き金となる。

そして、死んだ天音の本当の思いは、娘である花音を通じて、手記を通して知られることとなる。

冴理の視点と天音の視点。
それぞれで語られる場は、同じ言葉でも意味が全く違うものになっている。
無駄な派手さもなく、繊細に、美しく、静かに積もるような、そんな言葉だったように感じた。

愛されていた

愛されていたのは誰だろう。
冴理?天音?花音?
みんなどこかで、誰かに愛されていた。
私はそう思う。

私はどうだろう。
誰かに愛されるような人間でいられてるだろうか。誰かの希望になれているだろうか。

誰かに愛されるような作品は書けるだろうか。
誰かに愛されるような作品を作るには、まず私が私の作品を愛せなければならない。
そんな気がする。

でもいちばんはーー自分自身から愛されたかったのかもしれなかった。

自分自身から愛される。
自分自身を愛する。
それがどれだけ難しいことか。

それでも、愛していたい。
誰かに愛されていたい。
誰かを愛したい。

それを言葉にして伝えるということ、愛するということ。
もうこれ以上はまとめられないけど………色々なことを考えさせられた気がする。



最後に。

本当はもっと早く書くつもりだった。
この本は、先生の手から直接頂いてすぐに読んだ。何度も何度も。

すぐにでも書けるはずだった。
だけど、言葉を紡ぐことが、少し怖くなったのだ。

どう捉えられるかわからないから。
私は感動を伝えたかったつもりでも、読み手にとっては違う捉え方をするものになってる可能性がある。

言葉は怖い。時に凶器となり、人を殺す。
物理的にではないけど、簡単に、消せない傷を残せてしまう。

それでも私は言葉を発さずにはいられない。
言葉を紡がずにはいられらない。

だから私は書いたのだ。

それだけじゃない。
私はこれからも書いていく。

小説でも、エッセイでも、なんでも。
くだらない一言も、残していくかもしれない。

どこかで誰かの希望になっていたらと願って。

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