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知っているということ。

「ひとりの時間を楽しめるのって、どこかで誰かと繋がってるって知ってるからだと思うんです」


穂崎です。


私は昨日、大学で開催される哲学カフェに参加してきました。
哲学科の学生さんが立ち上げた団体?サークル?に、ちょこちょこ顔を出してるって感じです。
昨年助教の先生が主催でやってる哲学カフェに参加して、たまたまそこにいたサークルの1人から紹介を受けてサークルの方にも行ったというのが始まり。

私は文学科で教職課程を取っていて、授業で出会う人はあたりまえだけど文学科ばかり。
教職課程の授業の中でたまに違う学科の人とも関わったりするけど、あまり変わり映えしないなぁって感じ。

そんな中で、哲学カフェという、自分と違う学科の人達がたくさん集まる対話のイベントがあること、それを知れて、参加出来たこと。
なんかすごく、いいなぁって思ったんです。

前置きが長くなってしまいましたが、今回はその哲学カフェでのことを書いていきたいと思います。


「知ること」とは

哲学カフェの今回のテーマは、「知識はどういうことか-知ることは常に良い事なのか-」

知識そのものについて考えるところから始まり、いいことなのか良くないことなのかに発展していきました。

人って嫌なことでも覚えてたりとかしますよね。あれってなぜなのでしょう?
対話の中で出てきた答えは、「次あった時に、その嫌なことを回避するため」。わかるなぁって思いました。

怒られないために頑張ってたとかあったからね。

本当の利益のために、ポジティブな意味で頑張っているのではなく、ちょっとネガティブな意味での頑張り。そういう経験ってきっと誰しもがあるもんなんじゃないかな。

そこら辺をまとめてみると、知ることは何かしらのリスクを避けることに繋がるのでは?という話も出てきます。


だけど私はそれだけでは無いと思っていて。

これはテーマを挙げてくださった方の理由と重なってくるのですが……。


知ることで見えてくるものがある

提案者さんが、なぜこのテーマを挙げたのか。
「知識は活用しなければならないものなのだろうか?」「知るという活動によって何を目指しているのか?」が気になったからだそうです。

私が、哲学カフェでの対話を通して生み出した、見つけた答えは、「知るという活動は人生を豊かにすることを目指している」というもの。

実際に、普段関わらないような色々な人と関わって話してみて、知見が広がったような気がするし、それは参加して話さなければ得られなかっただろうし。
人と関わることが基本的に好きな私は、自分を深めたいだとか楽しみたいだとか豊かにしたいだとか、そういうことを思ってるのかもなぁなんて考えたりします。


ひとりでいたい時もある

人と関わるのが好きなのと同時に、私はひとりでいたい時もあります。
ひとりの時間を謳歌するのが、なんの縛りもないって感じがして好きなんですよね。
そのせいで散財してしまうこともあるんだけど。

だけど、ひとりの時間を楽しめるのって、誰かといる時間ってものを知ってるからなんじゃないかとも思って。

それだけでなく、今私はこの場でひとりでも、どこかで誰かと繋がってるって分かってるからひとりの時間を楽しめてるのかなとも思ったりします。

実際今ひとりでいるけど、ここで私が発信すれば読んでくれる人がいること、読んでくれてるって私が知れること、それって繋がりじゃん?って。
そういうことができるって幸せだなぁって思います。
見つけてくれて、読んでくれて、本当にありがとうございます。


全体を通してみると、知ってるってことに対してのあれやこれやを考える回になったなぁって思います。

きっとまだまだ世界は広がっていくんだろうな。


それでは今回はこの辺で。
ありがとうございました。

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