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大人に気づいてほしい高校生の悩み

私の担任の教師はロボットだ。

彼は笑わないし、用事以外のことは話さない。

型にハマって静かに生きてきた人のように思える。

彼は今朝起きてから一度でも鏡を見たのだろうか。

彼の天然パーマは自由奔放に好き放題くるくる、

シワシワのシャツはテキトーにズボンの中に突っ込まれ、

猫背の背中は、得体の知れないエイリアンを肩車しているかのよう。

そもそも、今を生きている感覚はあるのだろうか。

ただ、淡々と、1日を、職務を、終わらせようとしているように見えた。

いつも何かに追われているようにも見えた。

生徒だけでなく、他の教師とも仲良くやっているとは思えない。

独りで歩んでいるように思えた。

今日は三者面談があった。

彼は、私の志望校が私には難しすぎる、他に候補はないのか、といつものように言う。

彼をはじめ、日本の高校教師は、第一にあるべき目標として早慶上智、平均的にそこそこできる者にGMARCH、それらのレベルに届かない者には日東駒専をなぜかすすめたがる。

彼らが気にしているのは生徒の進路や将来?いや、高校の進路実績だ。

私の周りでは、GMARCH以上が“普通“で、それ以下は勉強できない奴扱いだ。

教師がそうであるから、生徒もそう考えるようになり、日本の社会的に学力至上主義が生まれる。

どんなにセンター試験で高い点数を取っても、名高い大学を卒業しても、彼らが全員優れているとは言えないと思う。

私たちはロボットではない。人間らしく柔軟な考えを持って、もっと好きを追って楽しく生きるべきだと思う。

そもそも、高校卒業後、すぐ大学進学しなければいけないと一体誰が言ったの?

海外では、生徒は一年ギャップイヤーを取って、見ず知らずの地域でヒッチハイクをしたり、自転車で地域を一周したり、バイトしまくってお金を貯めたり、経験を積むためにインターンシップに参加したり、世界を旅行して回ったり———

やることを挙げればキリがないぐらい

今日のお昼なに食べよう?

っていうくらいたっくさんの選択肢があることも知らず、周りの大人の作ったレールに乗せられて、“普通“と言われるであろう道を行く。

特殊な道を選ぼうとする者はなぜか批判的な目で見られる。

私もその特殊のうちの一人である。

担任の彼は言った。

「そこちょっと難しいね。日東駒専あたってみれば?」

さて、あなたは隠された真のメッセージを汲み取れただろうか。




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