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老子道徳経と中医学的身体観六十

副題 居位


中医学的身体観としては、

型の重要性と自由さ、脱力の重要性が分かる。

どちらかが重要なのではなくどちらも重要で、相互に見合わせる必要があるところは心腎相交と酷似している。


鳳凰堂流解釈

身体を治めるにも、色々と動かすよりも、

道に従って修練していく事で、

様々な学びがそこに内包され、

型から自身をみていける事が分かる。

そうすれば、力が誰かを押さえつけるものではなく、自身をコントロールし、

自身の身体の声を聴くものだと言う事が分かる。

こうして形と気が交わり、徳となる。


鳳凰堂流意訳

大国を治めるには、小魚を煮るように、余り箸でかき混ぜないことだ。(いたずらにいろいろな施策をしない)。

『道』を用いて(無為の精神で)天下を治めれば、精霊の鬼も力を発揮しない。

鬼が力を発揮しないのでなく、その神通力では人を害することが出来ないのだ。 いや、その神通力が人を害せないのでなく、聖人が人を害することがないため、聖人と鬼が互いに害し合うことがないのだ。

こうして聖人と鬼とは互いに『徳』を共有する。

直訳

大国を治むるは、小鮮(しょうせん)を烹(に)るがごとし。

道をもって天下に莅(のぞ)めば、その鬼、神ならず。その鬼、神ならざるのみならず、その神、人を傷(そこな)わず。

その神、人を傷わざるのみならず、聖人もまた人を傷わず。

それ両(ふた)つながら相傷わず。

故に徳こもごも帰す。

原文
治大國、若烹小鮮。以道莅天下、其鬼不神。非其鬼不神、其神不傷人。非其神不傷人、聖人亦不傷人。夫兩不相傷。故徳交歸焉。

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