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老子道徳経と中医学的身体観㉚

勝手に書き綴っていた老子道徳経と中医学的身体観ですが、

今回から原文と直訳を型(守)

鳳凰堂流意訳を破

冒頭の持論を離として読んでいただければと思います。

これによって同じ(類似)した文を4回読む事になりますが、それが全て正しいとは思わないようにしてください。

あくまでも鳳凰堂流。

誰がどう見ようが自由。

それが自然に適い、群盲評象、無極であり、太極であると考えています。

副題 検武

道、道理、型を用いれば心の奔放さに惑わされる事はない。

武の真骨頂は、戈を止める事であり、脅し、虐げる事ではない。

循環する事が大切であり、支配すれば必ず自身或いは親族に還る。

道に背けば、必ず物事の進行は止まる。

鳳凰堂流意訳

全ては循環する。

武力を用いて誰かを支配しようとしても、必ず自身に還ってくる。

その為、真の武力を持つ人は導くものを助けたとしても目先の結果を出すような暴力を使わない。

暴力は我欲の象徴であり、その後には自身の心にさえも棘を生み、次の暴力への原動力、周囲への恐喝へと変わる。

万が一使う事があっても、最小限に留め、大義と我欲を明確にし、相手を痛めつけずに制する事が肝要である。

そこには和が生まれ、それが循環する可能性が高まるからである。

恐れは怒りを生むが、怒りが暴力となるのではなく、喜びに変われば相生するからである。

そしてこの和が道の小さな完成形(型)であり、螺旋となり、螺旋が循環する事で大きな環となる。




直訳
道をもって人主を佐(たす)くる者は、兵をもって天下に強たらず。

その事は還を好む。師の処(お)る所、荊棘(けいきょく)生じ、大軍の後には、必ず凶年あり。善くする者は果たして已(や)む。あえてもって強を取らず。

果たして矜(ほこ)ることなく、果たして伐(ほこ)ることなく、果たして驕(おご)ることなし。

果たして已むを得ず、果たして強なることなし。物壮(そう)なればすなわち老ゆ、これを不道と謂う。不道は早く已(や)む。

原文
以道佐人主者、不以兵強天下。其事好還。師之所處、荊棘生焉。大軍之後、必有凶年。善者果而已。不敢以取強。果而勿矜。果而勿伐。果而勿驕。果而不得已。果而勿強。物壯則老、是謂不道、不道早已。

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